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立教うんちく話

第80回 立教学院展示館 企画展 「戦時下、立教の日々 ―変わりゆく『自由の学府』の中で」

戦後70年の節目である今年、7月21日から立教学院展示館にて、第1回企画展「戦時下、立教の日々 ―変わりゆく『自由の学府』の中で 1931年~1945年」が開催されています。

立教学院が取り組んできた戦時下研究をもとに、貴重な資料や校友から寄贈された品々・証言の数々が展示されています。軍国主義が吹き荒れる戦争の時代を生きた人々の人生から、現代の私たちがどう生きるべきかを考えさせてくれる展示内容です。

2015年9月4日までの展示期間と、追加で開催が決まった10月1日~12月8日の展示期間に、ぜひご来場ください。



企画展の展示内容

立教学院展示館のメーザーライブラリー・メモリアルスペースにて、企画展が開催されています。足を踏み入れると、所狭しと並べられた資料に圧倒されます。 すべてをじっくり見て回るには、少なく見積もっても2時間はかかるのでは、と思いました。

展示内容
Ⅰ あの戦争を知っていますか?
Ⅱ 戦時下のくらし 1931-1945
Ⅲ 「自由の学府」の日常 ―立教生のくらし
Ⅳ 1941.12.8 対米開戦の日
Ⅴ ペンをハンマーに替えて ―立教中学校の勤労動員
Ⅵ さらば家族よ、学友よ ―立教大学の「学徒出陣」
Ⅶ 「例えどんなことがあろうとも戦争だけはしてくれるな」 ―立教学院関係戦没者の追悼

校友たちの記憶 (『あゝわが青春の立教』より)

数々の展示の中から、校友たちが戦争の体験を語った証言のいくつかを紹介いたします。

軍事教練

「我々の青春を無茶苦茶にした教練では、1年の時のヒゲさんの印象は余りない。後任の配属将校の『お前等は国賊ぢゃ!』は記憶に残っている。『お前等はこの非常時にアメリカナイズされてのうのうと生きている国賊だ。さっさとお国の為に死んで了ぇ!』は、忘れられない」
(1941年4月予科・43年10月学部入学)

「家族的で楽しかった予科時代の唯一、苦痛だったのは軍事教練の時間だった。既に日米間も険悪さを増し、学生だけが青春を享受しておれないのは当然だった。我々にもやがてはやって来る時勢への心構えはあった。教練が苦痛だったのは体力的なものではない。どこの大学でも軍事教練が年々厳しくなっていた。特に立教はキリスト教主義教育だったから、軍当局のお覚えがめでたい訳がなく、配属将校からも目の敵にされていた形跡がある。学生への皮肉は日常茶飯事で、何かにつけては、『神のみ名の下に』とビンタを食わせたのもその一例だった」
(1941年4月予科・43年10月学部入学)

召集令状

「昭和18年10月の或る日の夜8時過ぎ、赤紙が私と母が住む代官山のアパートに配達された。配達員は出征おめでとうと言い残して立ち去った。初めて手にする赤黒い不気味な招〔召〕集状には、本籍地で直ちに徴兵検査を受けるように記入されていた。それ迄は学部に進学したら何をしようか?空手の練習をもっとやろうか、アルバイトでもして親孝行が出来たらと、夢を描いていたのだが、それらが無残にも、一瞬にして打ち砕かれてしまった。母と向かい合ったまま私は、母独りを残して、私は死んで行くのではないかという無力感に包まれ、其の夜は床についてもまんじりと眠ることが出来なかった」
(1941年4月予科・43年10月学部入学)




「戦争と立教 ―宮本馨太郎が見つめた世界」 (映像資料)

民俗学者で、立教大学文学部教授であった宮本馨太郎氏(1911-1979)が、自身のカメラで記録していた映像を中心に、戦前・戦時中の日本社会の様子を見ることができます。

近所の子どもたちを主役にして撮影された剣劇映画のワンシーンには、思わず笑みがこぼれますが、実弟の出征、戦場に赴く教え子たちの背中を見送ることしかできなかった苦しい心境など、戦争が一人ひとりの人生に与えた影響がいかに甚大なものであったのかが語られます。

18分ほどの映像ですので、こちらもぜひご覧ください。



「例えどんなことがあろうとも戦争だけはしてくれるな」 ―立教学院関係戦没者の追悼

ふだんは立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパスチャペル)の中におさめられている立教学院関係戦没者の追悼碑が、特別に展示されています。
戦争で命を落とした人たちの無念に思いを致しながら、今こそ「二度と戦争をしてはいけない」という戦争体験者の声に耳を傾ける時ではないでしょうか。

「戦没者達は生前に色々な思いや夢や願いを抱いていたに違いない。それなのに、死なねばならなかったことは、どれほどか無念であったことであろう。戦争とはいかに愚かで、悲惨で、不条理なものか。
我々日本人は戦後になって初めて戦没者を通して『戦争の愚かさ』『平和の尊さ』に気付き、覚醒した思いで新生日本を目指して邁進してきたといってもよいであろう。
(中略)戦没者たちが無言のうちに我々に何かを訴えかけているような気がしてくる。それを若し言葉にすのならば、『例えどんなことがあろうとも戦争だけはしてくれるな』という悲痛な叫びなのではないか」
(1941年4月予科・43年10月学部入学、『あゝわが青春の立教』より)


※立教大学と戦争に関連して、過去にも校友会メールマガジンでご紹介していますので、下記もあわせてご覧ください。


立教学院展示館

「立教学院展示館」は、どなた様も無料でご覧になれます。 開館日時やお問い合わせは、以下のホームページをご参考ください。

  

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