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立教うんちく話

第77回 チャペルのステンドグラス


池袋キャンパスのチャペル(諸聖徒礼拝堂)には、チャペル入口の右側と、正面の祭壇の上方、祭壇の真向かいにステンドグラスがあります。

太陽の傾きや陽の射し加減によって、微妙に異なった表情を見せるステンドグラス。その美しさに心を和ませられる、という方も多いのではないでしょうか。

今回のうんちくでは、このステンドグラスについてご紹介します。


ステンドグラスのモチーフ

皆さんは、祭壇の真向かいにあるステンドグラスの模様が、何をモチーフにしているのかご存じでしょうか? じっくり観察してみると、中央にユリ、その周りをブドウの実と葉が囲むモチーフとなっていることにお気づきになるかと思います。




ユリは、「純潔」や「三位一体」の象徴とされています。特に、白色のユリは「マドンナ・リリー」とも呼ばれ、聖母マリアを象徴すると言われます。 立教生にとっては、セカンダリー・シンボルの「セントポールズ・リリー」としても、おなじみのモチーフですね。

また、ブドウについては、儀式の際に用いる「葡萄酒」を最初にイメージされるかもしれませんが、実は、聖書からの由来もあります。ヨハネによる福音書には、「イエスはまことのぶどうの木」という一節があります。

以下で聖書の一節をご紹介するとともに、この箇所にまつわるお話を、立教大学の八木正言チャプレンに伺いました。

ヨハネによる福音書 第15章 (抜粋)

 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
 しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
 ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、
 あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
 人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。 (以下略)

八木正言チャプレンのお話

 葡萄の栽培は手間がかかるそうです。土壌を念入りに整備しなければ育たないし、若木は三年間、実を結ぶことは許されないとさえ言われます。その生命を保護し、よりよく生育させるために実のなる枝とそうでない枝を選別、実のならない枝は木の力を浪費させないために徹底的に切り落とす ということもあるそうです。

主イエスは、そんな葡萄の枝が私たち人間であると言われます。 それは……手間のかかるやっかいなその生育を一日も休まずに手がけてくださる農夫としての父なる神がおられるということであり、その父なる神が均し、栄養を注いでくださった最良の土壌から栄養を伝えるための木、幹としてイエスがおられるということでもあります。この両者につながって はじめて、私たちはその枝に実を付けたり花を咲かせたりできるのです。

それは今に生きるわたしたちに大切なことを想起させてくれます。 すなわち、枝である自らがあるのは幹につながっているから、その幹があるのは神が耕された土壌から栄養が伝わってきているからということを忘れて、どんな実を結ぶことができるか、立派な実をつけるためにどうやって外敵から身を守ろうかばかりを考えている自分を。 結果や評価ばかりを気にして自分を支えてくれている存在のことや「感謝」を忘れてしまっている自分。 チャペルのステンドグラスを目にして、そんなことを思い出してみてください。

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