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立教うんちく話

第74回 マキムホールとジョン・マキム

4月から、新しくマキムホールの利用が始まりました。
旧診療所の跡地に建設されたマキムホール(15号館)は、地下1階、地上12階からなる、
池袋キャンパスでは最も高層の建物です。
教室や研究施設のほか、国際センターと日本語教育センターがあり、国際交流拠点と位置づけていきます。



旧診療所

旧診療所は、1921(大正10)年に校友会館として建築され、1965(昭和40)年より診療所として使用されていました。
レンガ造りであたたか味のある建物として多くの学生・校友・教職員に親しまれてきましたが、
2009年、マキムホール建設にあたり、およそ90年にわたる歴史に幕を閉じました。

    
  

ジョン・マキム

マキムホールの名称の由来となったジョン・マキム(John McKim)は、1852年にアメリカ・マサチューセッツ州に生まれました。
神学校の先輩で、立教学校校長であったブランシェの帰国演説に感動し、1880(明治13)年3月に来日後、立教学校で教鞭を
とりました。 


1880(明治13)年
来日当時のマキム

1893(明治26年)、ウィリアムズ主教の後任として日本聖公会主教となり、同時に立教学校の後継設立者となりました。
その他にも米国聖公会在日ミッション(伝道事業、立教を含めた教育事業、聖路加国際病院を含めた医療事業)の
統括責任者でもありました。それ以後、財団法人立教学院初代理事長(1931~1935年)の時期も含めた42年もの間、
立教の最高責任者としてその発展に尽力しました。

1923(大正12)年の関東大震災によって壊滅的な被害を受けた時、マキムが母教会に宛てた電報の末尾の言葉
“All gone but Faith in God”(神への信仰のほかはすべて失われた)は、人々の感動を呼んだと言われています。

1935(昭和10)年、老齢のため職を辞して日本を去り、翌年ホノルルで亡くなりました。
在日55年、その強い指導力によって立教学院を大きく成長・発展させたのです。

その他にも、4月から利用開始となった施設があります。
お散歩がてら、ぜひ新しいキャンパスを見にお立ち寄りください。


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