立教うんちく話
第65回 立教のクリスマスと2本のヒマラヤ杉 (2)
池袋キャンパス本館前のヒマラヤ杉が1920年頃に植樹されたことは、前回のうんちくでも述べました。
しかし、誰がどのようにして寄贈したのかは、あまり知られていません。
2本のヒマラヤ杉の由来を立教小学校長でもあった故有賀千代吉氏(大正9年卒)が語っておられた記事を見つけたので紹介いたします。
大正9年3月、卒業証書を貰った時、誰いうとなく、何か立教に記念の品を残してゆこうではないか、という事になり、ライフスナイダー総理に相談を持ちかけたところ、大変喜ばれ、記念植樹をしたら、ということであった。
当時は学校の周囲には一本の樹もなかったのであるから総理がこんな事を言われたのは当たり前のことである。
その時はすでに2メートルほどの銀杏の木が植えられていたが、総理はそれが落葉樹である、という事を頭におかれ、「あなた方の卒業記念には常盤木がよいと思う」との事であった。
そこで学校当局におまかせし、卒業生は必要な費用を出しただけで植樹の式などはしなかった。
アメリカから来ていた建築技師ウィルソンさんが、つりあい、という事をどんなに大切にしたかという事は、古い建物を見れば解るが私どもの卒業記念に植えられた木も、銀杏の木と同じくらいの大きさであって、その太さも親指の2倍くらいはあったように思っている。
その木が、30年を経るとあんなにも、おおきくなるものかなあと、私は終戦直後日本へ帰ってきて、感無量であった。
それよりもさらに私たちの記念樹が、クリスマスツリーになって美しい池袋の名物になるなんてことは夢にも考えられないことであった。
雑誌 『立教』 1962年Vol.7 No.3 より
1918年頃の池袋キャンパス