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立教うんちく話

第63回 「Ⅹ. 創設者の横顔」

ウィリアムズの清貧に甘んじる聖者のような生き方は、ニコライは偉僧、ウィリアムズは聖僧と 当代の人々にたとえられたように、一見(一聞?)中世の修道士のような印象をあたえます。
しかし、ウィリアムズはただの堅物だったわけではありません。
これまで9回にわたってウィリアムズをとりあげてきましたが、最後に彼の温かい人柄を、挿話を読み返しもう一度おさらいをしてみましょう。

  • 師は一年中同一の黒羅紗の服をまとっていました。ある日、某夫人が「監督さん、失礼ですが、裏返ししてはいかがですか」というと「裏返して8年になります。」と笑って答えられました。
  • 師は伝道旅行の際、汽車など一、二等には乗らず、いつも三等に乗っていました。ある人がその理由をたずねると、「四等がないからです」と答えられました。
  • 師の部屋には敷物、窓掛けもなく、あるのはただ机、椅子、書籍、楽器だけでした。冬でもストーブをたかないので、たいてはいかがですかとすすめると、「イエス様の時代には、そういうものはありませんでした」とお答えに。。
  • 倹約を常とする師は、買い物もやかましく、あるコックは、とうとうお暇を願い出た。すると師は、二百何円と書かれた貯金通帳を持ってきて、「これはお前の老後のために貯蓄しておいたものです」といって差し出しました。

このように吝嗇と誤られるほどに勤倹克己の生活をしたウィリアムズは、こうして貯蓄したお金をすべて神に捧げ、会堂の建設、学生の扶助、病人、未亡人、孤児の救済のためにおしみなく費やされました。
また、公の寄付金の場合には、自分の名のでることも恐れて、必ず匿名にするよう厳しく断られたということです。


ウィリアムズの横顔でした。


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