立教うんちく話
第61回 「Ⅷ. ウィリアムズの生い立ち、母メリー」
チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教は、1829年7月18日、アメリカ合衆国大西洋岸側に位置するヴァージニア州の州都リッチモンドで弁護士ジョン・グリーンとその妻メリー・アニーの第5子として生まれました。
ヴァージニア州は、メイ・フラワー号より35年も前に、エリザベス一世の命によって、植民地が開かれた経歴を持つだけに、アングリカン・チャーチ(英国聖公会)の伝統が強く、その信徒も多くいました。
熱心な信徒であった両親は、生まれたばかりのウィリアムズをリッチモンドの記念教会(モニュメンタルチャーチ)に連れて行き、教区主教リチャード・チャニング・ムーアによって洗礼を授けてもらいました。
そして、そのとき彼らは日頃尊敬している主教の名をとって洗礼名とし、チャニング・ムーアと名付けたのでした。
ウィリアムズが幼少時に在籍したリッチモンドの記念教会
ウィリアムズが生まれた頃、父ジョン・グリーンは弁護士として活躍していましたが、1832年12月15日37歳で世を去りました。
このとき、ウィリアムズはまだ3歳半でしたので父についての深い記憶は残っていなかったと思われます。
6人の子を抱えて夫を失いながらも、それぞれ聖職、弁護士、実業家に育て、また教育家や軍人に嫁がせた母メリーは、賢母であるとともに信仰の篤い夫人でありました。
信仰の篤いメリーとその母に育てられたウィリアムズのエピソードをご紹介いたします。
母メリーは、毎日曜日ウィリアムズを教会に連れて行き、教会学校での学科の勉強が終わるのを待って、ともに教会の礼拝に出るのが常でした。
また、幼いわが子に毎日詩篇を一節ずつ暗誦させて、青年になるまで一日として怠ることがなかったと言います。
ウィリアムズの信仰心の芽生えは、この母によるところが大きかったに違いありません。
主日を守り、礼拝をかかさなかった母メリーですが、ある雪の降る日曜日の朝、家族の者が教会に行く代わりに家の中で礼拝することにしました。 その時窓から外を見ると60歳を過ぎた老牧師のムーア監督が、雪の中を教会に行くところでした。メリーは直ちに家庭で礼拝することをやめて、幼い子供達を引き連れて、教会に行ったそうです。
また、メリーはウィリアムズを膝元によび寄せて、演劇は見に行くべきものでない、しかし、見たいならば一生に一度だけ見せてあげようと言って、家族そろって一度劇場に行きました。
その後、ウィリアムズは学生時代に友達と一緒にどうしても演劇を見に行かなければならないようなことがありましたが、その時ウィリアムズは電報で母に問い合わせ、母の許しを得てまた一度見に行きました。
この後、彼は死ぬまで演劇を見たことはありませんでした。