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立教うんちく話

第59回「Ⅵ ウィリアム主教の倹約生活」

その生涯を独身で過ごしたウィリアムズ主教の毎日の生活は極めて質素なものだったといいます。
その倹約ぶりを伝える逸話は、主教と関わりのあった多くの人から寄せられています。
今回はそのエピソードのひとつをご紹介いたします。

ウィリアムズ主教は、春夏秋冬を通して、一枚のラシャ(毛織物の一種)の聖職服をまとっていたので、それはもうすり切れて、見るかげもなく痛んでいたのです。しかし、主教は気にする様子もありませんでした。

ある時、昔なじみのアメリカ船の船長が、見るに見かねて、「失礼だが先生、あなたの服は大分古くなっているから、裏返しをしたらいかがですか」と言いました。 すると、主教は微笑しながら、「そう、君の言われるようにいったん裏返したんだけれど、 それもひどくなったので又裏返して着ているのですよ」と答えたということです。

日常の食事の質素なことも有名で、部屋には敷物もカーテンもなく、冬になってもストーブをたかず、夏でも避暑などに行くことはありませんでした。
このように、毎日の生活ぶりは、清貧そのものといったありさまでした。しかし、それに甘んじて少しも苦にする様子がなかったといいます。

ところで、主教の生計はどのような状態だったのでしょうか?
記録によると、1884(明治17)年当時、主教が米国聖公会から支給されていた年俸は、1644メキシコドル。じ時期に日本人として最初に聖職となった2人の男性の年俸がそれぞれ225メキシコドルでした。
日本人聖職者の俸給は、日本での日常生活を維持するのに一応足るものであったと思われますので、主教の生活ぶりから考えるに支出は俸給のほんの一部で、そのほとんどが手付かずであったと推察されます。

こうして手元に残った私財を、主教は教会堂の建設や、困窮や障害を負う人々のための施設への援助などに惜しみなく費やしました。
例えば、東京築地の聖三一大会堂の工事費は4万円余りでしたが、実に10数年分の収入にあたる金額を、ウィリアムズ主教1人で負担したのでした。

また、日常的にも道端にたたずむ貧しい人々への遠慮がちな支援も、継続的にされていたということです。

立教の創立者 C.M.ウィリアムズの生涯
―道を伝えて己を伝えず―
立教ブックレット1 より一部引用


聖三一大聖堂内部


聖三一大聖堂


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