立教うんちく話
第48回「寄宿舎」
みなさまもご存知の通り、1918年に建設された2号館、3号館はかつて寄宿舎として使われていました。
2号館、3号館が寄宿舎として実際に使われていた当時のことを振り返ってみましょう。
大正末期、立教大学には80人位を収容できる東寮、西寮がありました。
その設備は当時としてはかなり進んだものであり、個室の洋室にベッドやデスクもあり、暖房のスチーム・ラジエーターが各室にあり、窓には蚊よけのスクリーンも付いていました。
そのうえ、お風呂や水洗トイレがあり、立派な設備のある食堂も、コモンルーム(談話室)も揃っていたそうです。
その頃、早稲田大学の建築科の教授や学生などが見学に訪れたこともあったということです。
食事は、朝食など時間に間に合わないと、味噌汁の具もなくなりお櫃のご飯が空になったりするので、うっかり朝寝坊もできなかったというエピソードもあります。
食欲旺盛な当時の学生たちの姿が思い浮かぶようです。
1925(大正14)年 寄宿舎の舎室
1925(大正14)年 学生食堂での寄宿生の食事風景