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立教タイムトラベル

第54回 「1961(昭和36)年 立教大学原子力研究所 研究用原子炉の臨界実験に成功」

立教大学の原子力研究所にある原子炉が臨界に達したのは、今から55年前の1961年12月8日午後8時16分のことでした。日本で4番目の原子炉として運転を開始したのです。

当時の会報「セントポール」には、「原子力時代をリードする本学の原子炉」と題した記事が、紙面のトップを飾りました。多くの人が、原子力の可能性に輝かしい未来の姿を描いていた時代だったと言えるでしょう。
2011年の福島第一原子力発電所の事故以降、原子力をめぐる世論は一変しましたが、立教大学の歴史の一幕としてご紹介します。

会報「セントポール」133号(1962年5月25日発行)


立教大学の原子炉

立教大学の原子炉は、1955年にアメリカ聖公会から「世界平和に協力するため」として原子炉を寄附する募金が集められ、誘致されたものでした。原子炉設置の敷地は、横須賀の旧海軍跡の国有地が払い下げられました。
1957年12月22日に「地割式」が行われ、1962年5月13日には関係者約700名の参加で竣工式および研究所開所式が行われました。 (参考:立教学院史資料センター編 『立教大学の歴史』)


 

【写真左】立教大学原子力研究所の完成予定図(「セントポール」107号、1960年1月15日発行)
【写真右】横須賀の武山に建設中の原子力研究所とトリガ型原子炉 (「セントポール」109号、1960年3月15日発行)



 


【写真左】横須賀市武山の立教大学原子力研究所地割式を行う(「セントポール」107号)
【写真右】原子炉竣工感謝式および原子力研究所開所式行わる (「セントポール」133号、1962年5月25日発行)



原子炉の現在

その後、40年間使用された研究用原子炉は、2001年にその役割を終え、現在は稼働を停止しています。すでに使用済み核燃料は搬出され、解体・撤去・更地化が行われるまで保安管理されます。
原子力研究所についての詳細は、立教大学ホームページをご覧ください。


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