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立教タイムトラベル

第52回 「1943(昭和18)年 学徒出陣」

文部省主催の「出陣学徒壮行会」が明治神宮外苑競技場で行われたのは、今からちょうど70年前、1943年10月21日のことでした。
立教大学でも同年11月に大学主催の「学徒出陣壮行会」が行われました。

太平洋戦争が激化する中、大学を卒業したばかりの校友だけでなく、卒業を早めることで「卒業生」とされた学生、在学生までもが兵士として戦場へ送られていった時代の写真をご紹介します。



【写真右】1943年11月13日に挙行された立教大学主催の学徒出陣壮行会の時のものとされる。 (資料提供:立教学院史資料センター)


軍事教練

1941年12月8日の太平洋戦争開戦以前から、国家総動員法(1938年公布)にもとづき、立教大学でも臨戦下態勢、すなわち戦争の準備が徐々に行われました。 1939年3月には、大学での軍事教練が必修化しています。

 

【写真左】1941年3月 予科商科学生 東京駅にて  (資料提供:立教学院史資料センター)
【写真右】1941年9月21日 予科3年 滝ヶ原演習場  (資料提供:立教学院史資料センター)


修業年限の短縮から「学徒出陣」へ

「立教大学新聞」第2号 (1941年11月1日刊行)

1941年11月刊行の「立教大学新聞」には、「臨戦下学徒の動員 在学・修業年限を臨時短縮 兵役法も一部改正」の見出しとともに、
「大学、専門学校等の在学年限または修業年限を臨時にそれぞれ短縮するとともに兵役法の一部改正を断行(中略)これにより戦時下学生生徒は在学年限および修業年限をそれぞれ6か月以内短縮され、同時に在学徴集延期期間の短縮により、本年度の卒業生の臨時兵役検査は12月、合格者の入営は来年2月に行うことに決定」
とあります。つまり、卒業の時期を数か月早めて“卒業生”とし、卒業後すぐに兵役につかせたということです。



1943年12月9日、立教大学の敷地内で行われた
「詔書捧読式」の様子
 (「立教大学新聞」第3号、1943年12月10日刊行)

1942年6月、ミッドウェー海戦の敗北以降、さらなる兵力の確保のため、同年10月には在学生の徴収延期が停止されました。これ以降、文科系の学生生徒は徴兵検査で不合格とならない限り陸海軍に入営することとなり、いわゆる「学徒出陣」が始まりました。
卒業期の繰り上げ、徴集延期制の停止といった段階的な措置により、出征の主体は卒業生にとどまらず、在学生をも対象としたものとなったのです。在学中の出征者総数は1,247名を数え、全入学者の52.4%を占めていたことがわかっています。

(参考資料:永井均・豊田雅幸「立教学院関係者の出征と戦没―戦時下の学内変動に関する一考察」、老川慶喜・前田一男編著『ミッションスクールと戦争―立教学院のディレンマ』、2008年、東信堂)


「詔書捧読式挙行」  

宣戦の大詔渙発されて、一億国民感激措く所を知らず、勇踊止むあたわざるを覚ゆ。この時本学では、9日午前11時40分、全学生は予科校庭に集合して、宣戦の大詔捧読式を挙行した。この日暗雲深く垂れ込め肌寒き風吹く折に、全学生一名として欠席する者なく2000余名の溌剌(はつらつ)たる学徒の列は真に胸を打つものがあった。遠山学長は謹みて、宣戦の大詔を拝読し、その後宣戦の大詔を拝聴してと題して切々うったうるがごとく、このごとき結果となった国際情勢の推移とその結果学徒に与えられた任務の重大なる所以を強調しもって学徒の進むべき方向を明示した。「学徒の進むべき道はすでに定まっている。入りては学業に専念し出でては、一身一家を捧げることこそ学徒の尽忠報国の大義に殉ずる所以なり」と。集合した学生一同深く深くその意を銘し意義ある捧読式を終了した。
(「立教大学新聞」第3号より)


平和祈念の碑

校友有志が中心となった調査により判明した卒業生、退学生、在学生375名の戦没者名簿が作成され、池袋キャンパスのチャペル入口回廊部分記念碑のもとにおさめられました。2001年11月1日に、「平和祈念の碑」除幕式が池袋キャンパスのチャペルで行われ、100名以上が参加しました。

平和祈念碑に刻まれた聖書の言葉

剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする
国は国に向って剣を上げず もはや戦うことを学ばない  (イザヤ書 2章4節)

「立教学院平和祈念の碑」への思い  (立教学院平和祈念の碑設置有志会)

(前略)私たちは、立教出身戦没者を調査し、その名簿の作成に数年間携わってきたが、戦没者たちが無言のうちに我々に何かを訴えかけているような気がしてならなかった。それを若し言葉にするならば、「たとえどんなことがあろうとも、戦争だけはしてくれるな」という悲痛な叫びなのではなかろうか。それを別の言葉に置き換えるならば、「再び戦争を起こさないことが、生残った者の責務であることを銘記し、このことを後輩に伝承する」ということになろう。「立教学院平和祈念の碑」は私たちのそういう思いを表していることを皆さんに是非知っておいて戴きたいのである。

我々戦争体験者たちは、戦争を知らない人々、殊に若い学生諸君に、上記のことだけは伝えなければならないし、又代々伝えていってほしいと思う。それは、私たちのように学業半ばにして学徒出陣で戦争に行った者たちは、もう二度と学生たちを戦争に行かせることがあってはならないと心から願うからである。

立教大学の校友、学生・生徒、教職員の皆さんが、平和を脅かす何らかの事件が起きた際に、「立教のチャペル脇には『平和祈念の碑』がある」ということを思い出して、何とか戦争だけはしないように知恵を働かせて行動してくださることを期待したい。

 

【写真左】「平和祈念の碑」除幕式の様子 (校友会会報「セントポール」第378号、2002年1月25日発行)
【写真右】立教学院校友戦没者芳名録 (「立教学院平和祈念の碑」パンフレットより)


なお、「立教大学新聞」など貴重な資料は、立教大学図書館「デジタルライブラリ」で閲覧することができます。


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