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立教タイムトラベル

第49回 「1992(平成4)年 旧部室取り壊し」

                                

1992年の夏、多くの校友にとって懐かしく、思い出深い場所であろう旧部室群が取り壊されました。 ある日は授業の合間に、ある日は授業後に、また授業のない日でも部室に顔を出したことがあったのではないでしょうか。

現在は、吹き抜けのある近代的な5階建て、部室数90を超すウィリアムズホールが部室棟となっていますが、 キャンパス内に各部室の建物が点在していた時代の写真をご紹介します。

7号館ウラ

1927(昭和2)年建設の、もっとも古い部室です。7号館の裏手にあったので、そのまま「7号館ウラ」と呼ばれていました。

元々は教室として使われていましたが、1937(昭和12)年の予科校舎(現4号館)完成にともない部室となりました。

体育会、文化会、クラス委員会の各本部があり、学生たちの課外活動の中心でした。画像の右下には、「立教大学体育会本部」の表札がたてかけてあります。



集会室A・B

7号館ウラと同年に建てられた部室です。

1959(昭和34)年頃までは教室として使用されていましたが、5号館の完成にともない集会室となったそうです。

後年は、演劇団体の練習・発表の場となっていましたが、木造建築のため老朽化も激しかったとか。







山小屋


(写真提供:学院史資料センター)


1931(昭和6)年に建てられた当初は、教室として使われていたそうですが、集会室A・Bと同様に1959(昭和34)年、5号館の完成にともない部室となりました。

「山小屋」と呼ばれるようになった理由は定かではありませんが、外観からつけられた通称なのでしょう。第一学食のそばにあり、他の部室とも近かったこともあって、いつも活気に満ちていたそうです。








山小屋ウラ

1952(昭和27)年に、初の部室棟として建てられました。その名の通り、山小屋の裏手に位置し、文化会の部室として使用されました。山小屋に近かったため、ここもまた学生たちでにぎわっていました。

その他の部室が元々教室だったことに比べ、最初から部室棟として建てられたため、その真新しい部室の割り当てをめぐり、完成当初は文化会と体育会との間で対立したこともあったそうです。

    

また、単に部室としてだけではなく、会議室や印刷物を作る謄写版の機械があっため、印刷室のような役割も果たしていました。






集会室C

文化会活動の充実を求める学生の声に応え、1966(昭和41)年に建てられた集会室です。

共同の練習場として、あるいは発表会の会場として、演劇団体や美術クラブが使用していました。









24部室

1967(昭和42)年に、5号館の裏に建設されました。部屋数が24あったことから「24部室」と呼ばれていました。

当時の学生会が学生会館建設運動を展開し、過渡的措置として建てられたものでしたが、「学生が勝ち取った部室」として、四半世紀後に取り壊されるまでその役割を果たしました。

この部室棟ができたことによって、すべての文化会に部室がいきわたることになりました。




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