立教タイムトラベル
第42回 「1948(昭和23)年 立教小学校設立の年」
小学校設立の1948(昭和23)年という年は、どのような時代であったのか。 「立教小学校十年史」、「立教小学校五十年誌」より写真と記事を紹介いたします。
等々力から池袋まで、この道程は決して近くはなかった。
しかも大井線にしても東横線にしても、また山手線にしても、その頃の混雑さは筆紙につくせぬ物凄いものであった。
親が死のうがどうしようが、汽車に乗るのには、自由に切符を手に入れることの出来なかった制限の時代であった。座席の上に座ることが許されず、また座ることに危険を感じた時代でもあった。
窓という窓は押し合う人々によって破られ、「助けてくれッ」という声をきかずに乗っていた日とてはなく、乗るにも降りるにも生命がけの時代、窓から乗降をしなくてはならなかったあの頃を、等々力からの短距離に2時間以上を費やして通ったその頃は、いま思い出してもゾッとする程である。 (後略)
『立教小学校十年史より 有賀千代吉著』
仮校舎
小学校の創設案は、急な思いたちであったために、初めから、校舎の落成までは中学校校舎を使用することになっていた。
その仮校舎というのは、2階建木造教室のうち階下3室で、この建物は戦時中焼け出された豊島区役所で使用していたとのことで床も壁も荒れ放題になっていた。
幼児を教育するのにはあまりに荒れすぎていたし、たとえ一時的であるにしても創設という輝かしい歴史の一頁を飾る為にためになんとかして学校らしく見える程度の修理はしておかなくてはならぬ、と考えて清水組にたのんで室内の舗装に奉仕してもらうことにしたのであった。 (十年史より)
第1回入学式
4月6日(火) -この日は晴れた暖かい日であった。-
入学式を迎えた私達は、立教学院に大きな歴史の一頁を作る日として、ある種の興奮を感じたが、朝早くからつめかけて来た児童も父兄も、同じ気持ちを持っていたに相違なかった。(十年史より)
制服について
グレーのスーツに白いシャツ、赤いネクタイといった粋な立教小学校の制服ですが、発案者は立教小学校の実質的設立者、有賀千代吉先生で、それまでの軍国主義的な教育からの決別の意思が見てとれます。
開校当初から、このスタイルにしようと決定していましたが、当時は生地の入手がたいへんに困難だったため、児童全員が制服を着たのは、かなり後になってからのことだったそうです。
登校
帰り道