Alumni Special Interview 被災地とつながる立教人
新たな人と人のつながり。そこから生まれる新たなワクワク。
気仙沼市在住 根岸えまさん(平27社)
東京生まれ、東京育ちの私は今、気仙沼市で漁師たちさんのための銭湯と食堂「鶴亀の湯・鶴亀食堂」の運営のほか、移住者支援や次世代の漁師の担い手を育成する活動を行っています。気仙沼市に移住するきっかけは東日本大震災の復興支援ボランティアに参加したことです。
地震が起きた日は、大学1年生の春休み。都内でアルバイトをしていました。家に帰ってテレビで津波の映像を目にしたのですが、これが同じ日本で起きていることだと受け入れられず、まるで映画を見ているような非現実的な感覚でした。ただ、地震、津波の発生に大きな衝撃を受けたものの、東北に行ったことすらなかった当時の私は、まさか後に気仙沼に移住することになるとは思ってもいませんでした。
それから半年後の大学2年生の夏休み。母が何気なく「東北にボランティアにでも行ってきたら?」と言ってきたのです。メディア関係に興味をもっていた私は、被災地を自分の目で見てみたいという興味本位の気持ちもあり、何となく大学のプログラムに参加し、初めて陸前高田市を訪れることになりました。実際に訪れてみるとテレビでは伝わらない匂いや何とも言えない重たい空気を感じ、まちがひとつなくなるというのはこういうことなのかと強烈な印象を受けたことを覚えています。そしてこのプログラムへの参加をきっかけに、現地のことをもっと知りたいと思い、学外のボランティアバスで定期的に気仙沼に通うようになりました。
何度も通ううちに仮設住宅に暮らすおばあちゃん達と仲良くなりました。みんな底抜けに明るいんですよ。ただ、ある時「毎週のようにボランティアが来ることに疲れちゃってね。私たちは被災者だから、感謝しないといけないのだけど。」と本音をぽつりと話してくれたのです。よかれと思ってお手伝いにくるボランティアと現地の人たちとのニーズがマッチしていないことをその時初めて知り、「それならば私が地元の方側に立って、お互いに意味のある支援、交流にしよう」と思い立ったのです。そして、大学3年生の1年間休学をして、気仙沼に住み込んで活動をしました。
その後、大学を卒業し、本格的にこちらへ移住し現在6年目になります。震災から10年が経ち、仮設住宅もなくなってこの生活が日常になってきたと感じます。地元の方々は「甚大な被害があったことは忘れてはいけない。ただ、この10年で起きたこと全てがマイナスではない」と言います。ボランティアが来ることに疲れたと話していたおばあちゃんもいましたが、たくさんの方がこの地を訪ねてきてくれたことで、新たな人とのつながりが生まれました。そして、外から来た人たちから多くの刺激を受けて、新たなワクワクもたくさん生まれています。コロナの影響もあって、最近は気仙沼を訪れる人も少なくなってしまいましたが、ぜひ立教の皆さんにはここまで立ち上がってきたまちの人たちのエネルギーを、現地に来て、直接感じとってほしいですね。
そして今、学生さんたちに伝えたいことはちょっとの勇気を出して、一歩踏み出してほしいということです。私は大学時代に一歩踏み出して、震災ボランティアに参加をしたことでその後の人生が大きく変わりました。今はコロナの影響もあってなかなか難しい部分もありますが、自分の置かれている環境から一歩外に出てみると、色々な世界が広がっています。一歩踏み出すたびにどんどん世界が広がっていくんです。オンラインの交流会に参加をするでもいい、読んだことのない分野の本を読んでみるでもいい、どんな些細なことでもいいので何かひとつ挑戦をしてみてほしい、そう思っています。 「鶴亀の湯・鶴亀食堂」