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Alumni Special Interview 被災地とつながる立教人

交流を続けることの意味を自分自身の体験から実感。

大船渡市出身 千田雄大さん(コミュニティ政策学科4年)


あの日、小学6年生だった自分は絵の具を使って卒業制作の工作をしていました。そして14時46分。ゴーという音ともに大きな揺れがやってきて、急いで机の下に隠れました。机の上にあった絵の具の水がこぼれて、冷たかったというのを覚えています。その後、一旦校庭に出たあと、学年ごとに高台に避難をしました。小学校は1階部分まで津波が来たので、そのまま避難しなければ危なかったかもしれません。幸いなことに自分は家族も家も無事。家具が倒れたりなどして、1週間くらいは家の隣のプレハブで過ごしましたが、避難所生活などをすることもありませんでした。しかし、友人の中には家が流されたり、家族を亡くしたりした人もいたので、小学生ながらこれまでの日常は変わったんだと実感しました。

千田さん

地震や津波で大きな被害があったという悲しい出来事はあったものの、様々な支援活動を通じて、被災地の子どもたちが普通ではできない経験をすることができたのも事実です。僕自身も、プロ野球選手との交流や、アメリカの球場に行きメジャーリーグの始球式で投げるという貴重な経験をさせていただきました。子どもだった僕の3月11日以降の記憶が、悲しい出来事、辛い出来事で埋め尽くされるのではなく、楽しい記憶もたくさん残っているのはこういった支援活動のおかげだと思っています。

千田くん


それから月日は経ち、陸前高田市の高田高校から縁あって立教大学に入学しました。正直なところ勉強よりも野球を頑張った4年間でした(笑)。野球をやりたくて大学に進学したので充実した日々でした。そんな大学生活では、野球部の活動の一環として、陸前高田市の中学生を対象にした野球教室にも参加しました。子どもたちは、野球を教えているときはあまり質問してこないのに、質問タイムを設けると「彼女いますかー?」「デートはどこに行くんですかー?」とか、そんなことばかり聞いてくるんですよ。まあ、そういう交流が楽しいんですよね。
大学生になって初めて東北を応援する側に立ちました。震災から時間が経ってくると、こういう交流活動をすることに消極的になる人もいると思うのですが、大なり小なり誰かの記憶には残っていると思うんです。参加した子どもたちや、教える側の大学生にとっても。だからこそ、立教大学には小規模でもいいからこういった活動は今後も続けていってほしい、そう思っています。この野球教室に参加した子が将来立教で野球をしてくれたら本当に嬉しいですね。

卒業後は関東で就職します。正直、今の僕にとっては首都圏の便利さや楽しさはとても魅力的ですし、今のところ大船渡に戻る予定はありません。でも、大学生で地元を離れたからこそ自分自身の地元を改めて見直すことができたように思います。田舎には田舎ならではの楽しさがあると思うんです。その良さをフルに活用して、時々実家に帰るときに帰るのが楽しみになるような、そんな地元であり続けてほしいですね。
千田くん

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