Alumni Special Interview
押阪忍さん×DJ OSSHYさん特別インタビュー
DJとして挑戦し続ける最大の原動力は、父の存在世代を超えて楽しめるディスコをこれからも。
フリーアナウンサーの草分けで、アナウンサー生活61年の押阪忍さん。昨年大好評だった「RIKKYO DISCO NIGHT」に続き、今年は「RIKKYO FAMILY DISCO」をプロデュース・出演するDJ OSSHYさん。お二方に学生時代の思い出から親子のエピソードまでお話を伺いました。
-お二人方とも立教のご出身ですね-
押阪忍さん:私が池袋キャンパスで過ごしたのは60年以上前の話です。在学中、病気療養のために留年せざるを得なくなったことで、一年後輩の長嶋茂雄さんと同期になりました。偶然にも、長嶋一茂さんとOSSHYも同期です。
OSSHYさん:私は高校から立教です。入学後しばらくは寮で生活していて、そこに一茂君もいました。都内の自宅から新座までは電車で通える距離でしたから寮に入るつもりはなかったんですが、父の命令で放り込まれたようなものです。
押阪忍さん:寮生活を経験すれば人としても成長できるのではないかと思いましてね。子どもたちには礼節を欠くような人間に育ってほしくなかったので、礼儀作法は厳しく指導しました。
OSSHYさん:私が物心ついたときから、父も母もテレビをつければ必ずどこかの番組に出ているような存在でした。それで子どもが慢心してはいけないと、父はとことん厳しかったですね。小学校1年のときから剣道に習字、算盤にピアノといろいろな習い事をさせられて、私はそのどれにもNOと言わない“いい子”でした。
-そんなOSSHYさんが高校時代、驚きの決断をされますね-
OSSHYさん: 高2の夏休み、先輩に連れられて初めて行ったディスコでDJに魅入られてしまったんです。もともとオーディオが好きで、中学時代はお気に入りの曲を集めてカセットテープを作ったりしていたんですが、カセットと違ってディスコでは曲と曲の間がなくノンストップで音が流れている。それが不思議でしょうがなくて。店内を見回すと、曲を操っているDJの存在に気づきました。それからは一人でディスコに通い詰め、ブースに張りついてDJの一挙手一投足を見つめて機材も研究し…そうして数カ月が経った頃、あるDJの方が「そんなに興味があるなら見習いを募集している店を紹介するよ」と声をかけてくださったんです。心は決まっていましたが、父は大反対でした。
押阪忍さん: 昭和ヒトケタ世代の私はディスコに違和感をもっていました。暗い店内、お酒、タバコと不健康なイメージで、そのような道に進むのはいかがなものかと。
OSSHYさん: 私にとってDJは、心からこれをしたいと直感した道。何と言われても思いは変わらず、それまで親に従順だった少年が初めて自分の意思で決断し、渋谷のディスコで見習いDJとしてアルバイトを始めたんです。
押阪忍さん: あのときは本当に驚きましたし、その後も長い間、DJ活動についてはOSSHYと話すこともしませんでした。
OSSHYさん: 高校の担任の先生は私のアルバイトを黙認してくださっていたと思います。高3の学園祭でクラスでDJ喫茶を開いたところ、「ディスコでプレイしている押阪が教室でも回しているぞ」と大行列ができたんです。そうした状況で私の活動が先生の耳に届かないわけがないですよね。でも温かく見守ってくださいました。父と仕事の話ができるようになったのは、16歳でDJを始めて30年も経ってからです。ただ、その10年ほど前に「FAMILY DISCO」を開催したときは初めて見に来てくれましたね。
押阪忍さん: お子さんにも向けたイベントと聞いて心が動きまして、会場に行ったら信じられない光景が広がっていました。40・50代を中心に幅広い年齢層の方々が集まっておられて、ステージ上ではお子さん方がリズムに乗って踊っている。アットホームで健やかで、私が考えていたディスコとは違うんだと認識を改めました。
OSSHYさん: 最初の「FAMILY DISCO」はレコード会社と企画したものですが、青春時代をディスコで過ごした大人たちとそのお子さん方、2世代が同じ曲で踊る姿を見て、この光景を一度きりで終わらせたくないと思いました。それで自社のエス・オー・プロモーションで開催するようになったんです。初回のお客さまは30人。一部のDJから「ディスコは大人の遊びなのに、昼間にノンアルコールで親子イベントなんて」と非難されたこともあります。でも、みなさん必ず笑顔になって帰っていかれる姿を見ていましたから、この活動は間違っていないという信念がありました。今では毎回300〜400人の方々が参加してくださっています。
-2017年から展開されている「高齢者ディスコ」について教えてください-
OSSHYさん:今の60・70代は本当に元気で、私のイベントでも華麗に踊っておられます。そうした方々に向けて何かできないかと考えていた矢先、介護施設でディスコをというお話をいただいたんです。「超福祉」をテーマに、高齢者施設における新しいレクリエーションの取り組みとしてやってみないかと。
押阪忍さん: 高齢者=童謡を歌って昔を懐かしむという像は、あまりにステレオタイプですよね。私を含めて今の高齢者は「ダンシング・クイーン」も「ヤングマン」も知っています。
OSSHYさん: だからもっと多様な楽しみ方があってもいいですよね。ただ、1回目では予期せぬ事態が起きました。「入所者は認知症を患っていて全員が車椅子で生活しています」と、本番1週間前に言われたんです。頭が真っ白になりましたが、70~80年代のディスコ音楽には上半身をメインに使う、座ったまま踊れる曲がたくさんあることを思い出しました。その中から10曲ほどを選んで、「拝むポーズ」「ロダンの“考える人”のポーズ」「綱引きのポーズ」など振り付けにわかりやすい名前をつけて臨んだところ、これが大成功。現場の看護師長さんから、「入所者がこれほど能動的に汗をかいて楽しんだのは初めてです」というお言葉もいただきました。この高齢者ディスコを全国に広めるべく、施設訪問を続けながらノウハウを蓄積している最中です。3世代がディスコ音楽を楽しめる時代が来れば嬉しいなあ。
-ディスコの新しい扉を次々と開いておられますね-
OSSHYさん:人を喜ばせたいという気持ちはもちろんですが、根底には「父に認めてもらいたい」という思いがあり、それが最大の原動力になってここまできた気がします。ファミリーディスコも高齢者ディスコも、父という壁がなかったら切り拓くことはできなかったでしょう。
押阪忍さん:あまり口に出したことはありませんが、OSSHYの活動は、音楽とダンスを通して活力や癒しを多くの人に届けていると思います。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも、世界中から集まった選手や応援団の方々が共に楽しむ場として、ディスコは大いに貢献できるのではないでしょうか。
OSSHYさん:1964年の東京オリンピックで、父は女子バレーを実況しました。今回はディスコを通して親子2代で何らかのお手伝いができれば、こんなに嬉しいことはありません。