Alumni Special Interview
フリーアナウンサー
宇賀 なつみさん(平21産)
自由な心で、自分に素直に。住所は地球、そんな生き方をしてみたい
フリーアナウンサーとしてだけでなく、ラジオパーソナリティーや新聞・雑誌の連載など、活躍の場を広げ続けている宇賀なつみさんに仕事の話やこれからのことを伺いました。
小学生のときから好きなことが変わっていない
テレビ朝日を退社してフリーランスとして活動を始めてからもうすぐ5年、アナウンサーになってからは
15年が経とうとしています。思えば、これまでの人生の半分近くの時間を「伝える」という仕事をしながら過ごしてきたんですね。
昔から自分で目にしたもの、感じたことを言葉にして伝えるのが好きでした。小学校では新聞係と放送委員をしていて、それだけでは飽き足らず、家でも家族向けに新聞を作っていたことを覚えています。その名も「なっちゃん新聞」(笑)。
“今週の私”と称して、自分に起こった出来事をせっせと書き連ねていました。テレビやラジオも大好きで、ラジオパーソナリティーのお姉さんに憧れて喋り方を真似したり、テレビの提供読みを練習したり。そんなふうに自分が楽しんでできることを仕事にしたいという思いも当時からあって、卒業文集には「将来の夢はアナウンサーか新聞記者」と綴っています。小学生の頃からずっと好きなことが変わっていないんですよね。
マイク1本だけで90分圧倒された「赤レンガ講座」
大学時代は「赤レンガ講座」が楽しみでした。テレビ局、新聞社、出版社、広告会社など、各業界で活躍されているOBOGの方々が講演をしてくださるのですが、メディアの現場の臨場感あふれるお話は本当に面白くて、毎回 ワクワクしっぱなし。「社会に出たらこんなに面白いことができるんだ」と夢が膨らみました。中でも印象に残っているのが、テレビ朝日の先輩でもある川瀬眞由美さんの回です。ほかの講師の方はレジュメやパワーポイントを使いながら講演をなさっていましたが、川瀬さんはマイク1本だけ。それとご自身の話術のみで90分間、私たちを飽きさせることなく話し続けました。その姿は圧倒的であり感動的でもあって、「アナウンサーってすごい」と衝撃を受けたのを覚えています。同時に、強烈な憧れを抱きました。現在、立教で講演をさせていただくとき、私がスライド資料などは一切使わず、マイク1本でみなさんの前に立つのは、こ の経験があるからです。あのときの感動と初心を忘れないように、伝え手として成長し続けていけるように。そんな気持ちでいます。
土砂降りの雨と雷のもと気象キャスターデビュー
大学卒業後、テレビ朝日に入社して夢だったアナウンサーになることができました。アナウンススクールに通ったこともない、ミスコン出身者でもない、英語も得意じゃない、周囲の就活生と比べたらスキルも実績もなかった私が試験を突破できたのはなぜなのか、いまだに分かりません。ただ、内定をいただいた際に人事の方から、「面接のときに宇賀さんが1番楽しそうだった」と言われました。自分にないものをあるフリをしても仕方ないから、何もない私のままで堂々といこう、悔いが残らないようにこの場を楽しもう。そう思って試験に臨んだことが、もしかするとよかったのかもしれません。
入社当日から「報道ステーション」の気象キャスターを担当させていただいたことは、今思うと本当にありがたい経験なのですが、当時の私にとっては青天の霹靂です。昨日まで普通の大学生だったのに、いきなり生放送に出て原稿を読むなんて怖くて怖くて。入社前に1カ月間、特別に研修を受けさせてはもらいましたが、本番までは不安しかありませんでした。しかも、当日は土砂降りの雨で雷も鳴っていて、ひどい天気だったんです。そんな中、傘をさして原稿を必死で読もうとしている私の目に飛び込んできたのが、カメラさん、照明さん、ディレクターさん、私とは知識も経験も段違いのベテランの方々が雨に打たれながら仕事に取り組む姿でした。それを見て、「怖いとか失敗できないとか自分のことを考えている場合じゃない。この人たちのためにしっかりやろう」と心が決まりました。あれから今に至る15年のキャリアの中で、あの日よりも緊張したことはありません。
堅実なキャリアより新しい可能性に飛び込みたい
そんな一生の記憶に残る初仕事を経て、その後、紆余曲折ありながらも、テレビ朝日では本当に幅広い経験ができました。忙しくも充実した日々でしたし、人にも恵まれて居心地もよかった。それなのに辞めるという決断をしたのは、違う世界を見てみたいという思いを抑えきれなくなったからです。入社して10年、朝の番組、夜の番組、天気、スポーツ、報道、情報、バラエティー、すべて経験させていただいて、局アナとしてある程度やりきったと思えるようになっ たタイミングでもありました。最後の1年は同じ場所で足踏みしているような気もしていて、前に進みたい、外に出てみたい、 今がそのときだと。堅実なキャリアより不確かでも新しい可能性に飛び込んでみたかったんです。それで入社10年の節目に退 職しました。
1人でやっているからこそ1人じゃないと感じる
フリーランスになった当初から事務所には所属せず、1人でやっています。大変でしょうとよく言われますが意外とそうでもなくて、逆に1人だと壁がなくていいなと。仕事のオファーも直接受けますし、やるかやらないかも自分で決めますし、行く先々で出会う方々とも直接お話しします。誰かの肩越しではないことが心地いいんですよ。それに、経理は税理士さんがサポートしてくださいますし、金額交渉で迷ったときには同業の友人に相談しますし、1人でやっていると周囲に頼らざるを得ない場面がたくさん出てきますが、だからこそ1人じゃないと感じます。むしろ、独立してから仲間が増えている気がしてありがたいです。
会社員時代はできなかったことにも挑戦しています。その1つが憧れだったラジオです。映像、音声、音楽、テロップなどで膨大な情報を伝えるのがテレビなら、ラジオは声だけで届けるメディア。ラジオの向こうに語りかけて相手からも声が返ってくるような、パーソナリティーとリスナーみんなで時間を共有しているような感覚がありま
す。お手紙もよく頂戴するのですが、それを読むと私が何気なく発したひと言もキャッチしてくださっていることがわかるん
です。「宇賀さんは家であまり寝ていないと思うんですけど」とか、そんな話していないのになぜかバレてる(笑)。それだけ
熱心に聴いてくださっているんだなあとうれしくなります。
10年ごとにガラッと変わるそんな人生も楽しい
今、自分で人生の舵を取っているという実感がすごくあります。職業としてなりたかったアナウンサーになれたのは22歳のときですが、今は本当の意味でなりたかった自分になれているなと。自分らしい人生を歩いている手ごたえを日々感じています。自分らしいといえば先日、立教時代からの親友と食事をしたとき、家を買ってみようかなと話したんですよ。明日はどうなるかわからないフリーランスの身でも、家があれば何とかなるかなと思って。そうしたら即座に、「やめたほうがいい」と言われました。「らしくないよ。なつは普通の大人がするようなことをしちゃいけない」って(笑)。
幼い頃から私はずっと自由を求めてきました。私が思う自由は、世間の当たり前や「こうあるべき」から解放されて、心が自由なこと。そして、自分の気持ちに素直に生きること。そうなるために人は学んだり、仕事をしたりしていると思うんです。会社員を10年経験してから独立したように、今後は10年ごとに生き方や働き方をガラッと変えていく人生も楽しいんじゃないかなと思っています。日本だけでなく海外でも仕事ができるようになりたいし、そのためにもっとフィールドを広げたい。住所は地球、そんな生き方をしてみたいですね。
文/水元真紀 写真/中西祐介
1986年東京都生まれ。2009年立教大学社会学部産業関係学科を卒業し、テレビ朝日に入社。入社当日に「報道ステーション」気象キャスターとしてデビュー。その後、同番組のスポーツキャスターを務めた後、「グッド!モーニング」「羽鳥慎一モーニングショー」等、情報・バラエティ番組を幅広く担当。2019年に同局を退社しフリーランスとなる。現在は、テレビ朝日系「池上彰のニュースそうだったのか!!」フジテレビ系「土曜はナニする!?」TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」等、テレビラジオを中心に幅広く活動。初エッセイ【じゆうがたび】(幻冬舎)も、好評発売中。
※各界で活躍している卒業生による学生のための講座