1. ホーム
  2. 会報
  3. Alumni Special Interview
  4. 日本航空株式会社 737機長 運航訓練部 737訓練室 飛行訓練インストラクター
    藤 明里さん(平4法)インタビュー

Alumni Special Interview 

日本航空株式会社 737機長 運航訓練部 737訓練室 飛行訓練インストラクター
藤 明里さん(平4法)

どんなときもあきらめない理由を探し続けて大好きな場所にたどり着きました。

小川 昌男さん  日本初の女性旅客機機長として、日本航空株式会社でパイロットとして活躍されている藤明里さんにお話を伺いました。

パイロットに女性がなる
その発想自体なかった時代

「女性で身長も低いし視力もよくない。そんな三重苦でパイロットになれるわけがない」。
 今から30年近く前、エアラインのパイロットになるためにあらゆる道を模索していたとき、ある男性パイロットにこう言われたことがあります。当時はパイロット=男性というのが常識で、それに女性がなれるという発想自体、世の中にありませんでした。ただ、三重苦と言われた私自身は「本当にそうなのかな」と思っただけ。もちろんいい気持ちはしませんでしたが、それであきらめる気にはなりませんでした。なぜなら、海外では女性パイロットが当たり前に活躍していましたし、空港で見かける男性パイロットの中には小柄な方も、眼鏡をかけている方もいらっしゃる。三重苦と言われたことのどれも現実に当てはまっていなかったからです。昔から失敗を恐れない性格で、失敗よりもパイロットになるのをあきらめることのほうが私には怖かったので、あきらめない理由を探し続けてここまできました。途中で壁が現れたら、方向転換して新しい扉をノックしてみる。その繰り返しです。中には開かない扉もありましたが、大きく開いて素敵な世界を見せてくれた扉もあります。そのひとつが立教大学です。


「エレガントに生きる」恩師の言葉を指針に

 私がパイロットを志したのは高校生のときですが、当時はまだ夢の段階。ほかに政治学などの分野にも興味があったので、立教の法学部に進学しました。そこで出会った仲間たちは今も私の支えで、なかでも幸福な出会いだったと思うのがゼミの先生です。その方は講師として立教にいらしていた女性の先生で、お話の内容も考え方も、年齢の枠、男女の枠、常識の枠……あらゆる枠から自由で、自分らしくあることを楽しんでおられました。先生に「将来はパイロットの道に進みたい」と話したときも、「女性なのに頑張るね」などとは一切おっしゃらず、ただひと言「エレガントに生きなさい」と。この「エレガント」という言葉、まさに先生を象徴していると思います。女だから、男だから、○○だからという枠を越えて、自分に備わっている魅力や気質を失わず、しなやかに生きていく。先生の「エレガント」にはそんなメッセージが込 められている気がして、私の人生の指針になっています。


日本がダメなら海外で道を見つけよう

 大学卒業後、パイロットのライセンスを取得するためにアメリカへ渡りました。当時、日本でエアラインパイロットになるには、4年制大学を卒業して航空会社の自社養成制度に応募するか、航空大学校に進学するか、大きく2つの方法がありました。(現在は私大操縦科やフライトスクール等も進路としてあります。)ただ身長155センチメートルの私は航空大学校が定める受験資格の身長に届かず、そちらの扉はあっさり閉ざされました。それなら自社養成にと思っていくつかの航空会社に問い合せたのですが、女性パイロットの養成は対応していないという返事でした。日本でパイロットになる道はないのかと落胆しましたが、なにも国内にこだわる必要はない、海外で新しい道を見つけられるかもと気持ちを切り替えて、アメリカ・ロサンゼルス郊外のパイロット養成学校に入ったのです。
 空を飛ぶことがどんなことなのか、知識も技術もすべてゼロの状態から学び始めたわけですが、そこでの10カ月間は飛ぶことの楽しさを心の底から感じることができた日々でした。同時に「パイロットの仕事は自分に向いている」という直感のようなものを得て、ライセンスも取得し、パイロットへの思いがますます強くなりました。

卒業から5年千載一遇のチャンス到来

 ただ、アメリカでライセンスを取得したからといって、すぐにパイロットの職に就けるわけではありません。アメリカのライセンス取得後は帰国し、一般企業で派遣社員として働きながら日本で働くことができる操縦のライセンスを取得しました。いつチャンスが来てもいいように、できる準備はすべてしておこうという思いでした。
 その後、岡山の小さな空港に飛行機を置く会社に就職が決まりました。整備の手伝いや運航管理が主な仕事でしたが、それを苦に思ったことはありません。むしろ、飛行機のそばにいて学べることが嬉しかった。そうして業務をこなしながら飛べる機会を求めて就職活動を続けていたところ、1997年、日本航空のグループ会社(旧JALエクスプレス 現在は日本航空に統合)が日本の航空会社で初めて、ライセンス取得者であれば誰でも応募できる採用制度をスタートさせました。私にとっては千載一遇のチャンスです。絶対に逃すまいとエントリーに必要な計器飛行証明という資格を取得して、1999年に採用試験を突破しました。


業務を確実に遂行すれば結果は必ずついてくる

 その後、1年間の訓練を経て副操縦士になって、そこから機長に昇格するまでの10年間は目の前の仕事に夢中に取り組む毎日でした。入社当時、機長は全員男性で女性の操縦士と仕事をしたことがない方ばかり。最初は珍しい生き物のように見られたこともあります。でも、それはその人の考えであって私のパイロットとしての成長には何ら関係ないことです。それに、日々の業務を確実に遂行していけば周囲も認めてくれるようになりますし、結果は必ずついてきます。仕事をすればするほど、そう信じることができました。
 フライトというのはチームワークです。悪天候で遅れが出たり、機材に不具合が生じたりと日々現場で起こるトラブルに対し、機長、副操縦士、客室乗務員、整備士、地上スタッフなどで情報を共有し、知恵を出し合い解決していきます。その中で機長の重要な役割は、みんなの意見を聴いて状況を判断し、決断すること。人の話に耳を傾ける姿勢や、意見を言いやすくする雰囲気づくりが欠かせません。ですから、相手の話を引き出す会話をいつも意識しています。操縦に関しては男女の能力に違いはありませんが、こうしたコミュニケーションの面では女性であることの利点が生きているかもしれません。


できる側ではなかったから教えられることもある

 誤解されている方も多いのですが、パイロットになるのに細かい基準はないんですよ。日本航空の自社養成の応募資格に身長制限はありませんし、視力も矯正視力で1・0以上あれば問題なし。学部学科の指定もありません。心身ともに健康ならどなたでも応募していただけます。ですから、興味のある方はぜひチャレンジしてください。パイロットというのは本当に楽しくてやりがいのある仕事ですから。
 2015年に訓練部に配属となり、現在は通常のフライト業務の他、インストラクターとして訓練生の指導をしています。私自身は決してできる側の人間ではなく、副操縦士に昇格する訓練ではとても苦労しました。そのぶん「こうすればできるようになる」ということが最初からできた人よりも分かると思うので、自分なりの気づきが訓練生の役に立てば嬉しいです。
 日本初の女性機長として取りあげていただくことが多いのですが、私自身は好奇心に沿ってこの方向はどうか、あちらはどうかと探し続けて、気付いたら道ができていたように思います。その途上で出会って、私に力をくださった大勢の人たちに。パイロットとして人生を送れていることに。そして、乗り越えられる試練しか与えない神様に心から感謝しています。
文/水元真紀  写真/中西祐介

小川 昌男さん
藤 明里(ふじ あり)
東京都生まれ。1992年立教大学法学部法学科卒業。卒業後、パイロットライセンス取得のために渡米。自家用・事業用・計器飛行・グランドスクールインストラクターのライセンスを取得。帰国後、国内の事業用パイロットライセンスを取得。1999年JALエクスプレス(現日本航空)入社。2000年に副操縦士となり、10年に日本初の女性機長に昇格

藤明里さん

【JAL自社養成パイロット採用について】
採用情報:https://www.job-jal.com/
※インターンシップ情報も上記サイトに随時掲載しております。


Page Top