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Alumni Special Interview

Alumni Special Interview
長野県松本市 教育委員会 教育長伊佐治 裕子さん(昭58教)

「子どもが主人公」の学びを実現し学都・松本のバトンを未来につなぎたい。

伊佐治裕子さん


市役所勤務を経て、2021年4月に長野県松本市教育委員会の教育長に就任した伊佐治裕子さん。女性の教育長は同市初であり、教員経験者以外の行政職出身者としても初だといいます。そんな伊佐治さんに、学生時代の思い出や現在について伺いました。



●「学び」が息づく地から都会に憧れ立教へ

  北アルプスの雄大な山々に囲まれ、歴史情緒ある城下町として知られる松本市は、その魅力を象徴する言葉として「三ガク都」を掲げています。それは、山岳都市の「岳都」、国際的な音楽祭が開催され、文化芸術を楽しむ「楽都」、そして学問の「学都」です。なぜ、松本が学都と称されるのかというと、江戸時代から他地域に比べて寺子屋が多かったことや、明治初期に建てられ、令和元年に国宝となった「旧開智学校校舎」の建設費の7割を住民の寄付で賄ったことなどに由来します。つまり、昔から市民の生活の中に「学び」が息づき、子どもの教育が大切にされてきた伝統があるのです。
 私はこの地で生まれ育ちましたが、そんな学都・松本の教育長を務めるなんて、若かりしころは夢にも思いませんでした。高校時代は、地方に住む多くの若者がそうであるように都会に憧れを抱いていました。東京の大学を志し、いくつか見学に行った中で、正門から望む校舎と緑の美しさに心惹かれたのが立教大学。時代が時代で、また長女だったこともあり、母は上京に反対しましたが、父は「行かなきゃだめだ」と背中を押してくれたのを覚えています。

●ジャズと教育学にのめり込んだ学生時代の思い出

  そのころは漠然と「教員になりたい」と考えていたため、文学部教育学科に入学しました。ですが、1、2年次は恥ずかしながら授業よりもジャズオーケストラサークル「ビックバンドクラブ」の活動に夢中でしたね。パートは、当時女性では珍しかったアルトサックス。日々の猛練習が実り、2年次には学生バンドの登竜門である「ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト」で立教大学が最優秀賞を獲得し、何と一流レーベルからレコードも出していただいたんです。もう大感激しましたし、そのレコードは今でも宝物です。
 3年次からは中野光(あきら)先生の近代教育史のゼミへ。このゼミ仲間と共に、真摯に、濃密に学んだ時間こそ、大学生活の1番の思い出と言ってもいいかもしれません。また、教育学専攻に進んで教員免許を取らなかったので、代わりに司書課程を履修することに。戦後の図書館界をけん引する存在だった清水正三先生が素晴らしい方で、ここでも多くを学びました。

伊佐治裕子さん
ビックバンドクラブでの活動

●子どもを巡る問題に直面して感じた葛藤

 「大学卒業後は、月並みですが「人の役に立ちたい」と思ったこと、司書課程の実習で「図書館の仕事って面白いな」と感じたことから、地元に戻り松本市役所に入りました。希望通り、最初の勤務は図書館で通算14年在籍しました。その後はさまざまな部署を渡り歩き、管理職になってからは教育政策課長やこども部長として、教育や児童福祉の分野に力を注いできました。
 なかでも印象深いのは、こども部時代の経験でしょうか。こども部は、児童福祉や保育、青少年の育成に関わる部署。特に、当時すでに社会問題化していた児童虐待や子どもの貧困、発達に障がいがある子どもの支援に力を入れました。ですが、そこで痛感したのは、「これは福祉だけでは限界がある」ということ。「福祉」と「教育」の両輪で対応していかないと、この問題は解決しない。そう肌で感じたことが、後の決断と今につながってくるんです。

●もう一度「集大成」が来たと思って頑張ろう

転機となったのは2020年。市役所の中でも筆頭部長にあたる総務部長に任ぜられ、役所人生の集大成という気持ちで臨んでいたところ、思いがけず市長から「教育長に」と打診を受けたのです。女性初でしたし、教職経験のない私に学都・松本の教育長が務まるのか……もちろん迷いはありました。でも、教育現場を客観的に見る「外」の目も必要かもしれないと思ったんです。そして、何よりこども部時代の葛藤を思い出し、「子どもたちのために全力を尽くせるな ら、こんなにやりがいのある仕事はないんじゃないか」と。もう一度集大成が来たと思って頑張ろう。そう心に決め、21 年4月、定年退職と同時に教育長に就任しました。以来、4人の教育委員と共に、学校教育や生涯学習の振興、文化財の保護 など、幅広い業務に取り組んでいます。
 教育長として一貫して大切にしているのは「主人公は子ども」ということです。もともと当市は、13 年に「松本市子どもの権利に関する条例」を施行しています。こども部時代はこの条例を推進する役割も担っていたのですが、そのころはまだ周囲の理解が十分でない部分もありました。ですが10年経ってようやく浸透してきたように感じま すし、22年には条例をベースに「子どもが主人公 学都松本のシンカ」を掲げた松本市教育大綱を策定することができました。
 ただ、実はこれも明治にさかのぼると、当時の教員たちが子どもの人権を大事にしてきた伝統があるんです。特別支援教育の発祥とされる取り組みがあったり、貧困や労働を理由に学校に行けない子どものための教育所が設けられたり。そうして先人たちが築いてきたものを途絶えさせてはならないし、「学び」や「子どもの人権」を重んじる市民性を未来につなげないといけない。それは、とても大事な仕事であり、挑戦しがいのあるテーマだと感じています。

●仕事人生を支えてくれた2人の先生の言葉

これまでの仕事人生を振り返ると、常に私を支えてくれたのは、大学時代の恩師である中野先生と清水先生の言葉でした。中野先生がよくおっしゃっていたのが「借り物の知識ではなく、自ら調べて、自分の考えを組み立てる」。これは仕事における基本姿勢になっていますし、「自分の頭で考える」には、対立を恐れず意見を出し合うことも必要ですよね。総務部長時代は、市長に何度も「それは違うと思います」と提言し、「食ってかかってくるのは伊佐治さんくらい」と言われたりもしたんですけど(笑)。どんな時も、率直に意見を述べ合い、対話を通して考えることを大事にしてきました。
 一方、清水先生に関しては、「世の中が右や左に動いても、軌道修正するのが図書館の役割」という言葉が印象的で。「市民が自由に情報を入手して学べる、政治から独立した学びの場の保障が必要」という意味だと理解していますが、それは図書館だけじゃないと思います。教育委員会では社会教育や生涯学習を支える環境づくりも行っていますが、この言葉を肝に銘じて取り組んでいます。

●教育現場を変えてゆく全ては子どもたちのために

 現在、教育は大きな転換期を迎えています。コロナ禍の影響や、GIGAスクール構想(注)学習指導要領の改訂などを受け、画一的な一方通行の授業から脱し、やっと「個」を大事にする方向に進んでいるように思います。この潮流を支えるのは現場の教員たちですが、一方では全国的に問題になっているように、先生たちの働き方があまりに過酷な現状があります。今、必要だと考えているのは、現場の先生方の負担を減らし、やりがいを感じられる環境をつくること。アウトソーシングなどで解決できることを増やして、代わりに研修や学びの機会を増やしていく。そうして先生方がゆとりを持つことが、結果的に一人一人の子どものSOSをくみ取ることにつながると思うんです。
 これからも常に子どもを中心 に置いて、何が必要か、どんな環境にすべきかを考え抜いていきたいですね。学都・松本の伝統と気風を次の時代につないで いくためにも、私にできることは、全力で取り組んでいきたいと思います。
文/ WAVE 写真/舛田豊明
(注)GIGAスクール構想:児童・生徒向けの1人1台の端末と、高速の通信ネットワークを一体的に整備する文部科学省の取り組み

奇二先生
伊佐治 裕子(いさじ ひろこ)
長野県生まれ。1983年本学文学部教育学科卒業、同年松本市役所に入所。14年間の図書館勤務を経て、介護課(現 高齢福祉課)、会計課、行政管理課で研鑽を積み、自治大学校での研修も経験。文化財課長、教育政策課長、こども部長、文化スポーツ部長、総務部長を歴任した後、2021年4月に松本市教育委員会教育長に就任。


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