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Alumni Special Interview 

シェイパー 小川 昌男さん(昭57化)

使い手にピッタリのボードを作ること。それを叶えるのは物理学の知識です。

小川 昌男さん 元プロサーファーで、日本でも指折りのサーフボードシェイパー*として知られる小川昌男さん。その手から生み出される通称「マジックボード」は、ユーザーが自分の手足のように自由に操作できることをコンセプトに作られており、小川さんシェイプのサーフボードを使って活躍しているプロ選手も数多くいます。その制作の極意などをお話しいただきました。
*サーフボードを設計および製造する人

11歳で始めたサーフィン。鴨川の海が育ててくれた

サーフィンを始めたのは11歳のとき、50年以上前です。今でこそ、オリンピックの正式競技に採用されるほど人気になったサーフィンですが、当時はまったく盛んではありませんでした。それなのになぜ始めたのかというと、僕が生まれ育った千葉県の鴨川には早くからサーフィン文化が根付いていたからです。1960年頃に横須賀基地の米軍兵士がサーフボードを鴨川に持ち込んで、それが地元の少年たちに広まったのが始まりで、周囲にはサーフィンをしている人が大勢いました。そのうえ実家の目の前が海だったものですから、サーフィンは僕にとって一番身近な遊びだったんです。
学校に行く前にサーフィン、帰ったらサーフィン。来る日も来る日も同級生たちと海に入りました。みんな基本のキすら知りませんでしたが、子どもって吸収力の塊じゃないですか。それが一年中海でバタバタやっているわけですから、放っておいても上達するんです。その頃も、全国各地でサーフィン大会が開かれていまして、当時はボーイズの部なんてなかったので20歳以下のクラスに出場しました。そうしたら僕も仲間も上位に入賞してしまって、「大人に勝った!」と大喜びです。それをきっかけに子どものサーファー集団がいると有名になりまして、「鴨川少年団」なんて呼ばれて(笑)、楽しかったですね。


「ボードを作ってみたい」中学生で初シェイプ

中学生になってある日、「自分が乗るボードを作ってみたい」と思い立ちました。そこで、壊れたサーフボードを自宅の2階に持ち込んで削ってみたんです。ボードって硬いのは表面だけで、中身は発砲スチロールなので、そこをサンドペーパーで削って形を変えました。人生初のシェイプですが、当時はそれが仕事になるなんて夢にも思っていません。単純に好奇心からやってみただけで、それよりも親にものすごく怒られたことが記憶に残っています。深夜、息子が何かゴソゴソやっていて、朝起きたら部屋中が粉だらけになっているんですからそれは怒りますよね。
高校に上がってもサーフィン漬けの毎日で、大学進学は考えてもいませんでした。勉強が嫌いで、勉強して何の役に立つんだろうと思っているような高校生だったんです。けれども、父は有無を言わさぬ強い口調で「大学に行け」と。ホテルを経営していて自営業の厳しさが身に沁みていた父にとって、定収入が得られるサラリーマンは夢のような存在。だから僕には安定した企業に就職することを望んでいて、そのためには大学に行ったほうがいいと考えていたようです。


自然科学に惹かれ理学部へ。在学中プロテストに合格

父の願いに反して結局僕も自営業者になってしまいましたが、大学には行ってよかったと本当に思います。正直にお話しすると、立教を選んだのは名の通った大学だからというのが一番で、何をしたいかは二の次でした。けれども物理と化学はすごく好きだったので、行くなら理学部化学科しかないと思っていました。勉強は嫌いでも、星の動きとか宇宙の誕生とか、自然科学の分野には幼い頃から興味があったんです。理学部の学びはその延長線上ですから、意欲的に取り組むことができました。
大学生活の後半はサーフィンの比重が大きくなって、一年間休学しています。3年生のときにJSPA(日本プロサーフィン連盟)が発足し、その第一期プロテストに合格してプロになったので、試合で忙しくなりまして。復学後も思うように授業に出られず、卒業が危うくなった時期もあります。とくに第二外国語で選んだフランス語には苦労して、卒業後も、「フランス語の単位が取れなくて卒業できない!」と焦る夢を何度も見ました(笑)。

小川 昌男さん

実際にサーフィンをする小川さん



ボード作りを支えるのは物理学と化学の知識

優等生には程遠い大学生活でしたが、学んだことは仕事に確実に活きています。サーフボードをコーティングするポリエステル樹脂やエポキシ樹脂といった素材に関する詳細な知識は、すべて化学の授業で学びました。それから、車やバイクと違ってサーフボードには動力が付いていないので、波から力をもらって走ります。これはもう100%物理学、流体力学の原理ですよね。
少し専門的な話をさせていただくと、サーフボードのボリューム(体積)が30Lの場合、その浮力は約30kgになります。対して僕の体重は75kg。では、浮力を引いた残りの45kgを浮かせているのは何かというと、ボトム(海面に接する面)が水から受ける力、走ることによって生まれる揚力なんです。ボードの特性は浮力と揚力のバランスで決まると思うので、たとえば体重50kgの女性ならこれくらいの浮力とボトムの面積がいいだろうとか、物理学の知識がベースにあると非常に作りやすいんですよ。


ひとつ良い特徴を作ると3つ悪い点が出てくる

体重だけでなく、その人の筋肉の付き方、レベル、普段行っている海、波のサイズ…ボードの設計には本当にさまざまな要素が絡んできます。一人ひとり条件が違うので、ボード自体の完成度を高めたからといって、万人に乗りやすいボードができるわけではありません。身長も体重も筋肉の付き方もほぼ同じ二人でも、ボードの上に立ったときの荷重位置の違いなどで、乗りやすいと感じるボードは異なるんです。それから、ひとつ良い特徴を作ると、同時に3つくらい悪い点が出てきてしまうことも長年やって実感しています。たとえば、テール(後ろの部分)を広くすると波の力を得やすくなるので加速度が上がる反面、スピードが出てきたときにコントロールし辛かったり、ワイプアウトといってボードから落ちてしまったり、そういう悪い面が出てくる。だから、ユーザーの要求に対してそこだけを見るのではなく、全体のバランスを考えながら作ることを大切にしています。


これからもずっと、海とサーフィンと共に

僕がシェイプを本格的に始めたのは大学卒業後なので、約40年前です。現在はマシンシェイプよりも圧倒的にハンドシェイプのほうが多くて、そのせいか、匠なんて言われることもあるんですが、僕としては技よりも、シェイプはやはり物理学だと思っています。物理学の知識を用いて、その人にピッタリのボードを考え抜いて作ること。これがすべてです。そのためにはお客さんとのコミュニケーションが重要で、店に来られる方にはその人が使っているボードと、サーフィン中の動画や写真を持参していただきます。ボードと動画を見れば、この人にはこんなボードが合っているな、こうすれば上手くなるなということが大体わかりますから。これにはサーファーとしてのキャリアはもちろん、JPSAとWSL(世界プロサーフィン連盟)のプロツアーで25年近く、ジャッジ業務に携わった経験も活きています。
その時々で興味を惹かれたことに夢中で取り組んできた結果、今があるんでしょうね。というとカッコよく聞こえますが、要は、海とサーフィンが大好きで、そのことばかりやってきたというだけです。サーフィンは今でも楽しんでいます。海にひとり浮かんでいると、自分の小ささがよくわかるんですよ。空はどこまでも広くて、波はいろいろな表情を持っていて、その中で自分は何ひとつ変えられない。自然って本当に偉大だなあと。そんなふうに感じながら海を眺めている時間が幸せです。
文/水元真紀  写真/中西祐介

小川 昌男さん
小川 昌男(おがわ まさお)
1957年千葉県生まれ。1982年立教大学理学部化学科卒業。在学中からショートボードのプロサーファーとして国内外で活躍。全日本プロサーフィン選手権大会2位などの戦績を残す。大学卒業後、OGM社を設立し、シェイプを本格的にスタート。OGMシェイプショップがある鎌倉を拠点に、毎年400人ものライダーにボードを作っている。


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