Alumni Special Interview
平昌・北京五輪 ショートトラック日本代表 菊池 悠希さん(平27営)
リンクを離れても私は生涯、チャレンジャーでありたいです。
引退から4カ月、解放感と寂しさと
現役引退を表明してから4カ月、スケートリンクから会社へと活動の軸を移してから2カ月が過ぎました。昨日よりも今日、今日よりも明日、0.1秒速く滑るため、強くなるため、そしてオリンピックで勝つために、アスリートとして120%の力で取り組んでいた日々とは何もかもが異なる日常に、解放感を感じつつも、少し戸惑っているというのが現状です。先日も、自分が海外の選手と滑っている動画を観ながら、コーナリングをもっとこうしたほうがいいなと思った瞬間、もう競技者じゃないんだと気づいて寂しくなりました。心のどこかでまだオリンピックを目指しているような気もしていて、引退した実感がないんです。
思えば、物心ついたときから30年近くスケートとともに生きてきました。その原点は、生まれ育った長野県南相木村の立岩湖です。当時、冬場はこの湖一面に氷が張って天然のリンクになっていて、歩き始めた頃にはもうそこで滑っていた記憶があります。両親がスケート経験者で姉たちも幼少時から滑っていたので、スケートをすることは私にとって自然な流れでした。
速いだけでは勝てないショートトラックの魅力
その後、小学生で地元のスケートクラブに入って、中学校1年生でショートトラックを本格的に始めました。実は、すぐ上の姉の彩花に倣って、私もスピードスケートで結果を出したかったのですがなかなかうまくいかず、コーナリングを鍛えようと始めたのがショートトラックだったんです。これが思いがけなく楽しくて、順調に伸びていきました。
たった一度のレースでどれだけ早く滑れるかを競うスピードスケートに対して、ショートトラックでは複数の選手が同時に滑走し、いくつかのレースを勝ち抜いていかなくてはなりません。早くゴールするには、速く滑ること以上に戦略や滑走中のポジションが重要で、一つのレースの中に熾烈な駆け引きのドラマがあります。選手同士の接触も少なくなく、転倒したらそこで終わり。ただ速いだけでは勝てなくて、戦術、スキル、体力、知力、すべての要素を持ち合わせた者が勝者になる。今思うと、そんな奥深さやスリリングな点も含めて、ショートトラックに魅了されていたのだと思います。
純粋に楽しかった、一大学生としての時間
幼い頃からスケートを中心に生きてきた私ですが、立教で過ごした日々には大学生らしい思い出もたくさん詰まっています。
とくに印象深いのは、組織行動論を研究する石川淳先生のゼミでの活動です。そのころの私は、大学のスケート部に所属しながら外部のクラブチームで練習を続ける毎日。友だちと過ごせる時間は限られていましたが、唯一ゼミでは、メンバーと遅くまでディスカッションをしたり食事に行ったり、一大学生として、本当に楽しいときを過ごすことができました。石川先生から学んだ組織論の知識はとても印象に残っていて、今でも自分の行動が周りに与える影響について考えたりします。他にも、社内で講話をする際にはゼミで得た観点を活かしながら話をすることもあります。
もがき苦しんだ時期、小学生との練習が転機に
肝心の競技のほうは、高校、大学時代は結果を出せずに伸び悩みました。こんなに頑張っているのにどうしてうまくいかないんだろうと苦しんで、現状を打破しようと休学してソルトレークシティにスケート留学したり、帰国後は地元のクラブに拠点を移したり、最ももがいた時代だったと思います。
ある日、そのクラブで小学生たちがショートトラックの基本である低い姿勢を難なく実践しているのを見てハッとさせられました。小学生が当たり前のようにしていることを、20年以上滑っている私は全然できていなかったんです。基本もできていない人間がオリンピックなんて言っている場合じゃないと目が覚めて、文字通りゼロからやり直したところ成績が一気に伸び、全日本選手権総合優勝をするまでになりました。「当たり前のことを当たり前にやる」。言葉にするとシンプルですが、これをできている人はそう多くないと思います。だからそこをどれだけ大事にするかで、結果に差がついてくるのではないでしょうか。スケートに限らず、すべてにおいて私が大切にしていることです。
オリンピックは特別な舞台。でも人生のすべてではない
初のオリンピックとなった平昌は、それまでこの舞台に出ることだけを目標にしていたので、正直なところ、メダルなんて見えていませんでした。けれども取材では、「メダルを目指していますよね」と当然のように聞かれますし、実際にあの場に立って、やはりオリンピックというのは結果がすべてで、結果を出さないとアスリートとして何の価値もないんじゃないかと感じてしまって…。だから、次の北京では本気でメダルを獲りにいこうと決めて、それまで以上に努力を続けました。自分たちの結果一つでコーチやトレーナーをはじめ、私を信じて支えてくださっている人たちの評価までも変わってきますし、競技の強化体制にも影響が出ます。それを思うと、メダルを獲れなかったらどうしようと恐怖に押し潰されそうになったことも。この重圧は、多くのオリンピアンが経験しているものでしょう。だからこそ、4年に一度しかない特別な舞台できっちり結果を出せるのは本当にすごいことだと思いますし、そんな偉業を成し遂げた選手を尊敬しています。でも一方で、オリンピックはその選手の人生の中の一瞬であって、決してすべてではないとも思うんです。私はメダルを獲ることはできなかったけれど、そこに至るまでの喜びや苦しみ、そして私自身が努力したという事実は変わることはありませんから。
積み重ねた学びや経験の延長線上に今があるから
これからも自分の道を堂々と、自信をもって歩んでいきたい。北京から戻った直後は絶望と悔しさで涙するばかりでしたが、今は心からそう思います。自分の弱さと向き合ってそれを受け入れること、感情と事実を切り離して考えること、あらゆる可能性を想定して最善の準備をしておくこと…競技人生を通して、私はたくさんの尊い学びを得ることができました。努力は必ず報われるという信念も変わっていません。たとえそれが結果に結びつかなくても、目標に向かってチャレンジし続けた日々は私を確実に強くしてくれたから、アスリートとして過ごしてきた自分を誇りに思います。
私は競技者としてショートトラックに取り組むこともすごく好きでしたが、結局のところ自分ができないことを努力してできるようになること、成長を実感することが好きなんだと思います。これまでの競技人生もこれからの人生も、自分の課題を見つけて努力して成長して、その繰り返しです。
だから、リンクを離れても、私は生涯、チャレンジャーでありたいです。
文/水元真紀 写真/中西祐介
1990年長野県生まれ。2015年、本学経営学部経営学科卒。ソチ五輪、平昌五輪、北京五輪と3大会にわたって活躍した菊池姉妹の三女。2015年全日本距離別選手権1000m優勝。2018年同選手権1000m、1500m優勝。日本オリンピック委員会の就職支援制度「アスナビ」を通じ、2016年4月から全日本空輸株式会社(ANA)に入社。