Alumni Special Interview
オリンピックに縁のある立教関係者を紹介
日本選手権6連覇、日本の女子競歩界のトップに君臨し続ける岡田久美子さん(平26現文/ビックカメラ所属)は、2019年には5,000m、10,000m、20kmの3種目すべてで日本記録を樹立しました。今非常に勢いのある岡田さんが、東京オリンピック(以下、五輪)の代表に内定しました。
※このインタビューは2月25日(火)に行われました。
―リオデジャネイロ五輪に続き、2回目の五輪出場内定、おめでとうございます。今回の五輪の目標は?
ありがとうございます。今回はメダル獲得を目指しています。
―自信はどうですか。
今はまだハーフハーフですね。2019年の世界陸上ドーハ大会で6位に入ることができたので、この勢いに乗ってもう一段階頑張りたいなと思っています。5割ある不安は、ここに来て初めてメダルという言葉を口にすることで、自分への期待や、周りの方の期待も感じるようになってきたことです。世界陸上で6位になったことで、形あるものがほしいなと、より思うようになりました。
―2019年の活躍はすごかったですね。ここまで飛躍した要因について、ご自身でどのように分析していますか。
2018年の3月頃からフォームの改善に取り組んだことで、今まで上手くいっていなかった部分がかみ合って、どんどんスピードがついて疲れづらい体になりました。
―岡田さんはもともと歩形がきれいで、あまりファールがとられない歩き方をしていたと思いますが、まだまだ改善できる思ったきっかけは?
確かに警告はついていなかったのですが、やはりきれいなだけでは勝てません。以前はなかなか世界のスピードについていくことができず、入賞にも程遠かったし、メダルなんて口にできる状態ではありませんでした。どうしたらいいのかと考えているときに、縁があって今の治療院に通うようになりました。まず骨格を整える治療から始まって、整えたのちにトレーニングをスタートしました。
今までは猫背によって骨盤が後ろに後傾してしまい、腰が落ちている状態で歩いていたんですが、今では猫背が改善されて、骨盤を正常な、理想の位置にもっていけるようになりました。腰が落ちていると、体重が乗ってから前に進むのが遅れるんですが、腰の位置が高いと踏み込んでから前に進む時間が短くなるのです。まだまだ改善点は多いですが、2018年の3月に初めてこのフォームを手に入れることができ、練習に踏み切ったことで道が開けたと思います。
インタビューに答える岡田久美子さん
―競歩は札幌開催となりましたが、気持ちの変化はありましたか。
正直なところを言うと、やはり東京で、みんなの前で歩きたかったですね。それから、札幌も暑いですが東京に比べたら涼しくなると思うので、スピードレースになるなと。世界陸上のドーハ大会で結果を残せたので、暑さの面では自信はあったんです。ただ、2019年の⒒月に札幌開催が発表されて、スピードをつけなくてはと思っていた中で、12月の10,000mで日本記録を出すことができて、少し自信はつきました。
―熊谷女子高校出身の岡田さんは、高校時代から非常に実績がある選手でしたが、なぜ立教大学に進学したのですか。
まずは純粋に勉強をしっかりやりたいという気持ちがありました。最初は異文化コミュニケーション学部に入りたかったのですが、陸上を続けるので必須である留学はできないと。そこで、社会学部の現代文化学科を選びました。それから、原田昭夫監督(昭55法/現・陸上部長距離部門総監督)が寛容で、「競歩の技術はすごく難しいし、誰も教えられる人がいないから、陸上部でももちろん練習してほしいけど、その他に自分の勉強したいところに行っていい。そこで得た技術や知識を持ち帰ってみんなとやってくれればいいよ」と言ってくださったんです。他の強豪といわれる大学に行った場合は、とても大学外で指導を仰ぐなんてできないと思います。この寛容な環境のおかげで、自分のやりたいことをのびのびとやれましたし、他に技術を学びに行くこともできたので本当に感謝しています。
―岡田さんは色々な取材で原田監督の話をしていますね。岡田さんにとってはどのような存在ですか。
お父さんみたいな存在です(笑)メンタル的なサポートをしてくださって、いまだに何かあれば連絡して相談しています。
―このインタビューにも行きたいって話していましたよ(笑)
さて、勉強したいという思いがあって、大学に進学したということですが、どのように競技と両立されてきたんですか。
勉強は決して優等生ではなかったと思いますが(笑)、楽しかったという印象があります。友達もたくさんできて、私が遠征に行くときはノートを全部取ってくれて、協力してくれました。五輪も札幌まで来てくれると言っているので、いい仲間ができたなと思っています。練習に関しては、今はセントポールズフィールドというトラックが新座キャンパスに出来ましたが、当時は代々木の織田フィールドまで練習に行ったり、学内の土のトラックで練習したりと決して恵まれた環境ではありませんでした。強豪校のよい環境をうらやましく思ったこともありましたが、今となってみたら「どうやったら疲れずに移動できるか」「家まで遠いからおにぎりを食べて栄養を補給しよう」など、自分で考えて工夫する習慣がつきました。その経験が今もずっと活きています。
―恵まれない環境だからこそ、今に活きる力が身に着いたんですね。立教大学に入学してよかったですか?
本当にそう思っています。競歩は最初私しかいなかったんですが、興味を持ってくれた人が競歩をやってくれたり、私がやっているトレーニングを真似して練習に取り入れてくれたり。年齢問わずみんなが優しく接してくれて、本当に仲間に恵まれました。もし、高校卒業後すぐ社会人としてデビューしていたら今の私はいなかったかもしれないと思うくらい、大学時代はいろんなことを学んだなと思います。たくさん失敗もしたのですが、自分自身がとても成長できる時間でした。
―だからこそメンタルが強くなって、東京五輪のメダル獲得という目標に向けて頑張り続けられる今の岡田さんがいるんですね。学生も、卒業生も岡田さんのことを応援しています。
インタビュアーは岡田さんの学生時代からコーチを務める林英明氏
おまけ
今回インタビュアーを務めたのは、岡田さんが在学当時から陸上部でコーチをしている林英明さん(平13産)。長い付き合いの2人のインタビューは、とてもリラックスした和やかな雰囲気で進みました。「インタビューに行きたい」と話していた原田監督はというと…終了後、電話越しに登場。いかに岡田さんが陸上部の一員としてよい時間を過ごしていたかがわかる一幕でした。