1. ホーム
  2. 会報
  3. Alumni Special Interview
  4. 会報449号
  5.    

Alumni Special Interview

オリンピックに縁のある立教関係者を紹介

いよいよ来年に迫った東京オリンピック。残すところ、あと9ヶ月です。
本学卓球部出身の星野一朗さんは、1978年にバンコクで行われたアジア競技大会の日本代表に選ばれるほどの実力の持ち主でした。現役引退後は、日本卓球協会で選手や指導者の育成に携わり、ロンドンオリンピック、リオデジャネイロオリンピックでは同協会の強化本部長として、日本チームのメダル獲得の一翼を担いました。現在は、卓球競技のみならず、JOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)の理事として、東京オリンピック開催に向けて忙しい日々を送っています。そんな星野さんに、副センター長を務める味の素ナショナルトレーニングセンター(以下、NTC)にてお話を伺いました。

星野さん

-NTCとは-
日本初のこのセンターは、2004年アテネオリンピックの好成績を受け、2008年1月、東京都北区西ヶ丘にトップアスリートが集中的継続的に強化活動を行う場として開設され、JOCが運営しています。施設エリアは4カ所から構成されており、各競技の専用練習場などの屋内トレーニング施設、陸上トレーニング場、屋内テニスコート、及び共用宿泊施設のアスリートヴィレッジがあります。
一方、施設などのハード面に対し、ソフト面としては1、エリートアカデミー 2、ナショナルコーチアカデミー 3、キャリアアカデミー 4、NTC拠点ネットワーク推進などの4事業が展開されています。
実際にリオのオリンピックで獲得した41個のメダル中40個がこの環境から生まれています。
最近では、NTCに隣接する旧都立産業技術研究センター別館跡地に「拡充棟」(仮称)が建設されました。パラリンピック選手も使いやすいようにバリアフリー設計が館内全施設になされている他、既存のNTCにはない見学者専用通路も確保されています。

 

国体

-卓球人生のはじまりは-
卓球との出会いは、小学校4年生のときの父との温泉卓球です。温泉で卓球に魅了されて以来、当時自宅近くのバッティングセンター2階にあった卓球場で父を相手に楽しみました。
立教中学に入学して卓球部に入部したのは、単に太っていたので痩せるためでした(笑)。厳しい部でしたから、3ヶ月で6キロ減ですよ。立教高校卓球部では、関東大会と国体で優勝しました。そのまま立教大学の卓球部に進みました。卒業した年である1978年第8回アジア競技大会(バンコク)では日本代表となりました。
卒業後は、卓球選手を条件に就職はしたくなかったことと、中・高・大と部活を通して人を育てる仕事をしたいと思っていたこと、そして体育会本部常任委員として職員の方々にも可愛がっていただいたご縁もあり、自分も何か学生のあと押しをしたいと立教大学に奉職しました。

春合宿

-リンピックに関わったきっかけは-
立教の職員時代の2013年、図らずもJOCの理事並びにNTCの委員長に就任しました。以来、2014年第2回ユースオリンピック(南京)の総監督として、2016年のリオのオリンピックでは日本選手団の競技担当本部役員として参加しました。南米初のリオでの開催の思い出はいろいろありますね。親日的国民性や子どもたちの目の輝きには、不安定な治安をしばし忘れ、心が洗われるようでした。
1964年の東京オリンピックでは私は9歳でした。この時に建設された各施設には日本武道館、国立競技場、渋谷公会堂などがあり、乗り物は東海道新幹線、東京モノレール、道路は首都高速、環状7号線などが整備され、今に至っています。まさか、自分が56年後の第2回目の東京オリンピックに携わるとは思ってもみませんでしたね

卓球選手権大会

-東京オリンピックに向けての抱負と選手への一言-
今回のオリンピックでは、「世界中の人々の多様性を尊重し、共生社会を作り出すこと」をうたっています。そしてJOC選手強化本部のテーマは「人間力なくして競技力向上なし」です。実行すべき計画としては、まず、アスリートファーストの大会であること。そして金メダル30個の達成に向けた日本スポーツ界の結集や、オリ・パラ一体となった連携強化などにも重点を置いています。
日本チームは、様々な方たちの支援があって今があります。東京2020では代表選手もスタッフも感謝の気持ちを忘れずにベストパフォーマンスを発揮してほしいと思っています。

町田さんと

-立教大学卓球部へのアドバイスを-
ダイエットのために始めた卓球ですが、おかげさまで177センチ65キロをずっと維持しています(笑)。大学での卓球部時代は、古い体育館の屋根裏のような狭い所で、先輩後輩も和気藹々と練習し楽しかったですよ。当時は卓球がオリンピック競技になるとは思ってはいませんでした。初めての大会は、1988年のソウルオリンピックからですから、まだ約30年です。
現在、立教の卓球部は3部校ですが、一日一日の積み重ねが大切です。普段できないことは急にはできません。私の大好きな言葉は「継続は力なり」です。少しずつでよいですから目標をもって進んでほしいですね。
私は、たまたま今スポーツの仕事をしていますが、スポーツは希望や夢ばかりではなく、幸せで豊かな人生を送るためには必要不可欠なものだと思います。スポーツを通じて社会が元気になることが私の夢です。

令和元年6月12日取材 取材者/町田香子     




Page Top