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Alumni Special Interview

オリンピックに縁のある立教関係者を紹介

2020年の東京オリンピック・パラリンピック開幕まで残り1年。
校友の皆様が「立教」という新たな視点を加えて東京オリンピック・パラリンピックをお楽しみいただけるよう、オリンピックに縁のある立教関係者を紹介していきます。
第1回はサッカー日本代表のゴールキーパー(GK)として1964年の東京オリンピックに出場し、1968年のメキシコシティーオリンピックで銅メダルを獲得された横山謙三さん(昭41社)に話を伺いました。

76歳を迎えられた現在も、日本オリンピアンズ協会の理事を務められるなど精力的に活動される横山さん。サッカーとの出会いから大学在学中に迎えた東京五輪の舞台と、メキシコ五輪での銅メダル獲得までの道のりについて、さらには2020年に向けた思いも熱く語っていただきました。

横山さん

-まずはサッカーを始められたきっかけを教えてください-
生まれは東京ですが、戦時中だったため物心のつかないうちに疎開で埼玉県の浦和に引っ越したんです。サッカーの盛んな場所だったので、通っていた常盤小学校のグラウンドにはサッカーのゴールがありました。実は僕、生まれた時から体が小さくて、小児結核にかかったこともあったんです。ちょっと走っただけで疲れたりして、学校に行けない時期も多かったんです。本格的なスポーツはできませんでしたが、その分、小学校のときはサッカーだけでなく、色々なスポーツで遊んでいました。
サッカー部に入ったのは中学3年生の頃。それまでは他の部活に入ったりもしましたが、大体3日くらいで辞めていました。どこに行っても当時はうさぎ跳びばかりやらされたから(笑)。そして正式にGKとしてプレーし始めたのは高校3年時。一番試合に出やすいポジションだと思ったからです(笑)。

-そして1964年には東京五輪に出場されました-
川口高校の一員として出場した関東大会の1回戦で、当時アジアユース大会の監督をやっていた(故)岡野俊一郎さん(元日本サッカー協会会長、国際オリンピック委員等を歴任)が声をかけてくださり、代表に招集されました。東京五輪の時はたしか2回目の2年生だったかな(笑)。立教からは僕以外に、フェンシングの荒木敏明さん、バスケットボールの(故)海保宣生さんが出場したと思います。

サッカー日本代表

-アルゼンチン相手に勝利を収められたんですよね-
ベスト8に入れたので、まあまあの成績でしたね。日本のグループリーグはアルゼンチン、ガーナ、イタリアと同じ組だったんだけど、イタリアには今でいうリオネル・メッシのような世界最高の選手、サンドロ・マッツォーラがいたんです。だからドイツ合宿の間はイタリア対策の練習だけをしていた。でもイタリアが急きょ出場を辞退したので、初戦がアルゼンチン戦になり、精神的にも楽になったんです。

-その4年後のメキシコシティー五輪にも出場されました-
当時の日本のサッカーは世界でも全く相手にされておらず、銅メダルが獲れたことは奇跡的なことだったと思います。(故)デッドマール・クラマーさんがのちにバイエルン・ミュンヘンの監督としてヨーロッパ選手権を制した時に「今日は最高の日ですね」と言われたら、「いや、違う。私にとっての最高の日はメキシコシティー五輪で日本代表が銅メダルを獲った日だ」と答えてくれたんです。

表彰式

-「日本サッカーの父」デッドマール・クラマーさんとのエピソードを教えてください-
クラマーさんが来日した年が、僕がユース代表に入った年、そして立教に入学した年でした。クラマーさんは立教サッカー部のOB会会長の吉原郁夫さん(昭8経)のお宅に下宿されていて、僕は吉原さんの息子さんと同級生で仲が良かったんです。だからしょっちゅう遊びに行くんだけど、クラマーさんが毎回いるんですよ(笑)。
彼が日本に近代サッカーを教えてくれました。それまで日本人はボールの正しい蹴り方すら知らなかった。ヘディングも知らないし、ましてや戦術なんて分からなかった。だから東京五輪に向け、開催国として恥ずかしくないようにと強化してくれたんです。僕が恵まれていると思うのは、当時のヨーロッパの最先端のサッカーを常に吸収できたこと。幸せなことだと思います。



-立教大学サッカー部に向け、メッセージをお願いします-
もちろんサッカー部には1部リーグに上がってほしいです。実は僕、OBとして試合や練習を観に行ったことが一度もないんです。だって今頑張っている人たちはちゃんと指導者がいて、その指導者の下に成り立っているから。余計なことを言うと必ず選手は迷う。僕が何かを言えば、たしかに何かしら感じてくれるとは思うけど、それは筋違いだなと思うんです。

奨学金

-2020年に向けてはどんな思いを抱いてらっしゃるでしょうか-
今のサッカー五輪代表は、メキシコシティー五輪以来のメダルが獲得できるんじゃないかと期待しています。今の代表は、ボールを持った選手が必ずゴールへ向かってプレーすることができるようになったんですよ。Jリーグが誕生して、2002年に日韓ワールドカップが開催されて、日本のサッカーは進歩してきましたが、その育成の成果がやっとでてきたと感じますね。今の選手たちはピッチに立つと自然と体が動く。特に久保建英選手は、その中でも技術的にも戦術理解度的にも際立っています。



-現代サッカーにも温かい眼差しを向けていらっしゃるんですね-
そうですね、今後のサッカーがすごく楽しみだし、まだまだこの先があると思うので。チャレンジする精神が大切だと思います。
当時から南米の選手はすごいなと思っていましたが、なぜすごいかって、草生えているような場所でもサッカーをしているから。草でサッカーをしていると、グラウンダーのパスもかなり強く蹴らないと届かないんです。だからそういう環境で自然と技術が身に付いていくんですね。そして、サッカー選手になって一族を支えたいという思いでプレーしています。だからそういう意気込みのようなものを、対戦していて感じていました。でも我々も当時は同じ状況だったかな(笑)。当時、ヨーロッパ遠征などに行くと、ドイツ代表チームはチャーター機で移動していたんです。すごいなあと思って見ていたし、プロリーグがどんどんと世界でも誕生していく過程を見ていたから、日本もいずれこうなっていくだろうなと思っていました。そして今、スポーツ界は世界全体で考えても、どんどんと発展しています。一方で、戦術・技術的な発展はしているけれども、スポーツ精神、モラルというものは果たして向上しているんだろうかと感じることが多いのも事実です。
ぜひ立教の皆さんにも考えていただきたいのは、スポーツの本来のあるべき姿とはどういうものか、ということです。今の社会の中では、スポーツが利用される場面が非常に多くなっているように感じます。特に金儲けのために。本来、なければならないスポーツのモラルというものが失われているんじゃないかと。
やっぱり一番大事なのはフェアプレー精神をどう守っていくかということ。そして、スポーツマンシップ、仲間を大切にすることをどう考えていくか。ルールを守ることは非常に大切。でも同時に、そのルール自体が本当に正しいのかということも、もっと考え直す必要があると思っています。

-スポーツについてあらゆる側面から真剣に考える姿勢が大切ですね。貴重なお話ありがとうございました-


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