1. ホーム
  2. 会報
  3. Alumni Special Interview
  4. 研究室をたずねて 野澤正充先生 法学部法学科教授

Alumni Special Interview

研究室を訪ねて
野澤正充先生 法学部法学科教授

野澤正充先生

 野澤正充先生は立教小学校入学以来、長きに渡り立教に在籍なさっています。立教大学卒業生としては初めて、立教大学法学部専任教員に就任された学友でもあります。


●中学生の頃に研究者を志す

 私と法律との出会いは、立教小学校6年生のとき。社会科見学で最高裁判所に行った際、同級生の1人に「野澤は将来こういう所で働くといいんじゃないか」と言われ、その言葉がずっと頭の片隅に残っていました。
 立教中学校(現立教池袋中学校)入学後は地歴(地理歴史)研究部に入り、そこで触れた民俗学が面白くて、柳田国男の著作集をほとんど読みました。身近なものから得た多様な情報を整理し、発想豊かに仮説を作っていく研究の面白さに目覚めたのは柳田国男がきっかけです。中学からは自分で論文を書きはじめ、特に高校時代は集中して取り組みました。好きなことに集中し、自由な発想で物事を捉える姿勢は、間違いなく立教で培われたもの。これは自分にとって大きな意味をもっています。深く考え、それを整理して書くことで自分の考えが明確になるし、人にも伝えられる。私は今も、ものを書く作業が好きですし、そういう意味で研究者は天職かもしれません。
 大学1年生の秋学期に、大教室の講義で、後に指導教授となる淡路剛久先生(現立教大学名誉教授)に出会いました。私が入学した1979年当時は水俣病やイタイイタイ病、大気汚染などの公害事件が問題になっていた時期で、淡路先生はすでにその頃、民法(不法行為法)の大家でした。大教室で初めて聞いた先生の授業は印象的で「たぶん、この先生とはこの先ずっと縁があるに違いない」と感じたことを覚えています。
 3年と4年の2年間は、末延財団が支給する鳥洞奨学金を受給させていただきました。この奨学金は代々、立教大学法学部を代表する先輩方が受給されていたもので、私もその名に恥じないよう、精一杯頑張り、学部を首席で卒業することができました……こう書くと、順風満帆で研究者生活に向けてスタートしたかのように思われるのですが、ここで難題が持ち上がります。立教大学で研究者としての道を進むためには、まずは司法試験に合格する必要があると言われたのです。法学者になるために司法試験を受験する必要はなく、そもそも私が在学していた4年間、立教大学法学部卒業生の司法試験合格者はゼロでした。しかも当時の司法試験は合格率が2パーセントに満たない時代で、それは大変でした。司法試験第2試験に合格したのは、立教大学大学院法学研究科博士前期課程に進学した後です。その時は検察官になろうかとも考えましたが、淡路先生から慰留をいただいたこともあり、大学に残りました。その後、93年4月、立教大学卒業生として初めて立教大学法学部の専任教員になりました。

●フランス在外研究とラオスの法整備支援

 研究者として大きな転機になったのは、96年から2年間、フランスのパリ第2大学で客員研究員として在外研究をしたことです。日本の民法はフランス民法をその礎としており、旧民法は明治政府にフランスから招聘されたギュスターヴ・ボワソナードが起草しています。在外研究中は主に3人のパリの先生にお世話になりましたが、なかでも50代の指導教授と私と同世代の若い先生とは親しくさせていただき、帰国後もパリ第2大学から10回以上の講演や講義の機会を与えられ、また、お二人を立教大学にも招聘して、お二人が逝去されるまで本当に親密な付き合いが続きました。
 2006年からは、法務省が行う法整備支援に協力しました。まだ法律の制度が十分ではない国々の司法制度の整備を支援するプロジェクトで、民法だけでなく、刑法や民事訴訟法、刑事訴訟法など裁判手続きも含めて、その国の司法制度そのものをつくる手伝いをするのです。
 私自身はラオスの法整備支援に関わりました。ラオスには民法といったまとまった法律はなく、契約法や土地法などの個別の法律が存在していただけでした。ラオスは社会主義の国ですし民法は資本主義の法律なので、本来は相容れないものですが、経済的に資本主義を取り入れるために、民法や商法が必要だったのです。そこで、アドバイザリーグループの一員としてラオスに赴き、民法の制度そのものを教えることからはじめ、民法典を作る支援をしました。ラオスの旧宗主国はフランスだったため、法律の基本もフランス法でした。そして、私はフランス法を研究していたので、フランス民法の知識が非常に役立ちました。途中、間が空いたとはいえ、延べ12年ほど協議を重ね、18 年に民法典が完成しました。
 民法は国内法なので、かつては民法学者が海外にでることは少なかったのです。ところが第2次世界大戦後、国際間で売買契約が増え、契約法など国により法律が違うことによる不都合が生じるようになりました。それを改善するためにつくられたのがウィーン売買条約などの国際的な統一法です。さらに、ここ数十年の間で進んだ世界経済 のグローバル化とともに、法律の世界のグローバル化も進みました。昔は国ごとに制定されていたものが、国際化に伴い、国内法も国際ルールに合わせて策定されるようになったのです。その結果、私自身もフランスやラオスと長きにわたる関係を築くことになり、研究者として得難い経験ができました。

野澤先生
「気分転換は朝のジョギングとバッハの作品を聴くこと」と話す野澤先生

●今、関心のある2つのこと

 21年に弁護士登録をし、法律事務所に所属する弁護士として実務も行っています。実社会で民法がどのように運用されているのかを知る貴重な機会です。立教の卒業生からの相談もあり、できる限り役に立ちたいという思いから、契約や相続などの法律相談にものっています。
 もう1つの関心事は法教育です。私は法務省の法教育推進協議会のメンバーを務めており、そこでは特に高校生・中学生向けの教材を作成し、どのような法学教育を行うのがよいのかを協議しています。そしてそれとは別に、これまで法律とは縁のなかった社会人がよりよい市民になるための法教育ができないかを模索している最中です。
 ご存じのとおり立教大学にはセカンドステージ大学(RSSC)という学びの場があります。こちらでは「現代社会と民法」という授業を担当しています。ほかにも23年には、豊島コミュニティカレッジで、「身近な事例で考える市民のための法学入門」という講座を行いました。例えばSNSの投稿を取り上げ、自分にとって不利益でプライバシーが侵害されるような記事が出たときに、その削除ができるのかについて、最高裁の判例を参考に考察を進めました。参加者同士で議論し、考えをまとめて発表するのですが、論理的に議論を進めると最高裁の判例と同じような結論も導き出せることがわかりました。
 法学は知識、と思われがちですが、実は非常に論理的な学問です。社会で何か問題が起こったとき、それをどのように捉えたらよいのか、論理的に考える訓練として役に立つのです。その訓練はいずれ、その人の社会の見方を変え、人生を深く考える姿勢を育んでくれるかもしれません。そんなきっかけづくりに関わりたいと考えています。
文/河西真紀 撮影/増元幸司

本
パリ第2大学で講義後に受講学生と教室で撮った1枚。前から2列目、左端が野澤先生。

プロフィール
野澤正充
立教小学校(20回生)、立教中学校・高等学校卒業。1983年立教大学法学部法学科卒業。85年に司法試験第2次試験合格。88年立教大学法学研究科民刑事法専攻・博士課程前期課程修了。91年同博士課程後期課程単位取得退学。91年4月から法学部助手を務め、95年より同助教授、2004年より同教授。1996年4月から98年3月まで、フランス・パリ第2大学客員研究員。JICA(国際協力機構)の依頼のもと、2012年よりラオスの民法制定に関わる。


Page Top