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Alumni Special Interview

研究室を訪ねて
後藤 隆基先生 江戸川乱歩記念大衆文化研究センター 助教

後藤 隆基先生

2004年立教大学文学部日本文学科卒業後、07年に大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期課程修了、14年に同後期課程修了。14年から複数の大学で非常勤講師を勤め、立教大学社会学部教育研究コーディネーター、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教を経て、22年4月より立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教。専門は近現代日本演劇・文学・文化。


 後藤隆基先生は現在、江戸川乱歩記念大衆文化研究センター(旧江戸川乱歩邸)にて、江戸川乱歩生誕130年記念企画を進めています。本学大学院を修了後、複数の大学や出版社で勤務するという、少し珍しい経歴をもった校友です



●演劇との出会いが研究者としての原点

 私は静岡県沼津市の出身で、高校時代からバンド活動をしていました。音楽をやるなら東京だろうという安易な思いもあって大学進学を決めたのですが、立教の日本文学科を卒業した母から話を聞いていたのと、受験前日に下見に来たとき、本館の建物を見て「ここに通ってみたい」という思いが湧いたのが、立教を選んだ理由でした。
 幸い合格したものの、バンド活動のほうに熱心で、お世辞にも真面目とはいえない学生だったと思います。それが、2年生で受けていた今村忠純先生(元大妻女子大学名誉教授)の授業をきっかけに、演劇に出会ったんです。2001年の夏、初めて自分でチケットを買って劇場に行った芝居が、紀伊國屋ホールで上演されていたこまつ座の 『闇に咲く花』(井上ひさし作、栗山民也演出)でした。客席から観る舞台風景や劇場の空気、名古屋章さんなど出演していた俳優の生の存在感などをよく覚えています。「演劇が好き!」と一気にハマった……わけではなかったのですが、なんだかよく分からないけれど演劇というのはおもしろい。その印象や感覚は何なのだろうと考えるようになりました。それが、今に至る私の研究の原点かもしれません。
 社会や歴史、さまざまな物事について、演劇を通して考えると理解しやすかった。自分にとって演劇とは「世界」をみるための窓。後から理屈をつけるとそんなふうに言える気がします。
 卒業論文のテーマは井上ひさしの音楽劇。指導教授の藤井淑禎先生(立教大学名誉教授。15年定年退職)に相談して大学院に進学しました。研究テーマを川上音二郎と明治時代の演劇に決めましたが、相変わらずバンドと演劇とアルバイトが中心の不届きな院生で、どうにか3年かけて修士論文を書きあげました。それでまた懲りずに後期課程を受験するのですから、我ながら何を考えていたのか。まだまだ研究の何たるかもわかっておらず、紆余曲折を経て、一度休学し、ご縁のあった早川書房に就職することになります。

●演劇雑誌の編集で知った現場の営みを研究につなぐ

 『悲劇喜劇』という演劇雑誌の編集部でしたので、毎月さまざまな書き手に依頼して原稿をいただいたり、作家や演出家、俳優、スタッフなどに取材して原稿をまとめたり、雑誌作りを学びながら演劇界の現場を垣間見ることができたのは、非常に貴重な経験でした。
 演劇の現場は表方、裏方、さらには観客も含めた大勢の人びとが複雑に絡み合いながら興行を成り立たせています。それなら、明治時代の演劇界にはどんなネットワークが存在し、時代が移り変わる混乱や葛藤の中で文化がつくられていたのか。改めて研究してみたいと思うようになり、思いきって藤井先生に相談。約2年間お世話になった 早川書房を退職し、大学院に戻ることにしたのです。
 復学後は一から研究のイロハを叩きこまれ、散々回り道をしましたが、13年度に高安月郊という作家に関する博士論文を提出しました。明治時代から活躍し、昭和の初めには坪内逍遙と森鷗外と並ぶ日本の演劇革新に功績があった人という評価もありましたが、今ではほぼ知られていません。そんなニッチな対象を研究することの背中を押してくださり、卒業論文、修士論文、博士論文のすべてをご指導いただいた藤井先生には感謝の他ありません。また、専門分野や時代は違っても、日本文学専修の先生方には多くを教えられました。懐深く、風通しのよい〝立教日文〟の学問的雰囲気に育てられたと思っています。

後藤先生
「コロナ禍の演劇界の記録は、やらなくてはいけないと思いました」と後藤先生

●さまざまな経験が研究や仕事の土台に

 博士課程在学中から、学内のESD研究所で勤務していました。日本における環境教育や、ESD(Education for SustainableDevelopment)研究の第一人者である阿部治先生(立教大学名誉教授。21年定年退職)が所長を務め、東日本大震災後の被災者支援プログラムの開発、地域創生に関する事業など、自分の専門分野とは異なる場所での仕事は刺戟的で、新しい視野を得ることができました。
 11年度には、立教大学と東京芸術劇場との連携に関するシンポジウムを行いました。それをきっかけに、近接する大学と劇場が共に地域の歴史や文化を考える連続講座「池袋学」(14~17年度)を企画・運営したのも、地域にひらかれた大学を謳う立教のひとつの実践として有効だったと思います。
 教育研究コーディネーターの任期満了後、18年度は雑誌『東京人』の編集部に勤務していました。毎月幅広い多彩なテーマの特集を組んでおり、ここで改めて編集者としての仕事を学び直した気がしています。
 その翌年、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に助教として入りましたが、20年に新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって、世界が一変してしまいました。舞台芸術の分野で、次々に公演中止・延期の判断が下されていく様子をみて「コロナ禍で演劇界に何が起こったのかを記録しなくては」と感じました。上演史に空白が生じたことは間違いありませんが、本来生まれたはずの表現を「なかったことにしない」という思いで、コロナ禍の舞台芸術に関する調査を進め、資料や記録を集め、企画展のキュレーションも担当。いま、生きる世界で、自分の研究や仕事に何ができるかを考えさせられる事態でした。

本
後藤先生の著作。コロナ禍の演劇界の記録(右)と明治期の作家・高安月郊の研究書

●江戸川乱歩の世界を広く〝ひらいて〟いきたい

 江戸川乱歩記念大衆文化研究センターには22年に着任し、4年ぶりに母校に戻りました。センターの運営や厖大な資料整理に加えて、24年に控えている立教学院創立150周年事業の一環である「旧江⼾川乱歩邸施設整備事業」のさまざまな業務に日々奔走しています。
 その中で進めていることのひとつが「江戸川乱歩生誕130年記念企画」です。乱歩は小説自体も面白いのですが、そこから派生した種々の二次創作が世界に広がり、人気を集めています。乱歩が現役の作家であるかのように「今」を生きている理由のひとつではないでしょうか。この企画では、乱歩に縁のある方々や乱歩をモチーフに新しい表現を模索している方々にお話を伺い、乱歩の魅力などを発信しています。研究などを通して乱歩を深く掘り下げていくことはもちろん大切です。同時に、乱歩がいかに外の世界にひらかれているか、乱歩が世界をひろげているかということも伝えたい。学外の方はもちろん、学内や校友の皆さまにも知っていただきたいですね。
 思えば、私はこれまで、その時々にいる場所だからこそできること、やるべきことを研究や仕事につなげてきました。旧江戸川乱歩邸にいることも同じです。今ここにいなければできないことを考える。それが、自分自身の可能性もひらいていくのだろうと思っています。
文/河西真紀 撮影/増元幸司


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