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Alumni Special Interview

研究室を訪ねて
21世紀社会デザイン研究科 中村陽一教授

大学院の独立研究科である21世紀社会デザイン研究科の中村陽一教授は、2022年3月で定年退職されます。立教では約20年にわたって教壇に立ち、NPO団体などと連携して社会デザイン学に取り組んでこられました。

中村教授

中村 陽一(なかむらよういち)
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授(法学部教授兼任)。1980年一橋大学社会学部社会学科卒業。同年、株式会社新評論入社。日本生活協同組合連合会を経て、89年に消費社会研究センターを設立。その後、都留文科大学文学部社会学科(助教授、教授)、東京大学社会情報研究所(客員助教授)などを経て、2002年4月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に着任。22年3月、本学定年退職


●何を学ぶのかもわからず社会学の世界へ

一橋大学の社会学部に入ったんですが、あまのじゃくな性格で法、経、商、文など文系で主流といわれる学問に興味がなく「何となく面白そう」と、よくわからずに社会学部を選んだんです。でも実は映画製作の世界に魅力を感じていて、入学してもあまり授業に出ず、映画の現場に出入りしていました。結局、映画は思うように撮れず、3年生から大学に戻るような形になったんですが、当然周囲に全然ついていけない。でも負けず嫌いで一念発起し、1年間社会学を猛烈に勉強したら俄然面白くなりました。
社会学的な社会心理学の佐藤毅先生のゼミ1期生だったんですが、ちょっと変わった学問的背景を持った方でした。アメリカの当時最新だった1950年代以降の社会心理学を体系的に導入した南博先生と戦後日本の社会科学の硯学の1人である高島善哉先生という、異なる系譜の2人を師に持つ先生だったんです。このことが社会デザインという非常に間口の広い学問につながっているのかな、と思います。社会心理学やマスメディア的な話と、社会思想や哲学思想的なものが混じり合い、佐藤先生を経由して私に流れ込んだ感じですね。

●社会人生活の中で「市民活動」に出会う

卒業後は大学院進学も考えたんですが、自分のやりたいことはもう少し実社会に即したことだ、という思いから出版社に就職しました。小さな会社で当時は月に1度休めるかどうかの、今流に言えば超ブラックな会社でした。でも本作りに関して、編集から印刷、製本、営業にいたるまで全部自分で担当させてもらえたので、忙しくてもとても面白かったんです。
その後、縁あって日本生協連に入り出版部門で月刊誌のデスクを担当しました。月のうち半分は取材に出ていましたね。その際に、地域でいわゆる市民活動とか後のNPOにつながるような、環境や福祉、まちづくりや教育、国際交流など、生協の活動に限らずいろいろな分野を取材したんですね。そのとき“生活の場から大きな変動が起こっているな”と肌で実感したんです。それまでの市民運動は行政に対して抗議し、あとの対応はお任せというのが一般的でした。80年代半ば以降は“行政に任せきりじゃなく、どう変えていくか自分たちから提言をしないと何も変わらないぞ”という新しい発想が芽生えてきたんです。これはまさに今やっている社会デザイン学に直結していて、それを直接現場で見られたのは幸運でした。

中村教授
「21世紀社会デザイン研究科はOB・OGのつながりが強く、交流も活発です」と
中村陽一先生

●アメリカでNPOの現場にふれ、感銘を受ける

その後89年に消費社会研究センターを設立しました。当時は「非営利独立ネットワーク型シンクタンク」なんてカッコつけて呼んでいたんですが、今でいう社会起業家的な発想です。政府や行政、民間企業、NPOや市民活動などと協働、工夫して社会的なプロジェクトをやっていこう、と。そこで聞いたのが「欧米には市民運動のスタッフにちゃんと給料を支払う組織があって、事業として成り立たせる場があるんだよ」ということ。日本的な発想では市民運動は食えないっていう意識がありましたが、NPOについて英語文献などを調べるうちに、違う組織原理のものがあるんだ、と分かってきました。
いろいろな人とつながって情報や意見を交換するうち、92年に約3週間、アメリカ各地にある様々なタイプのNPOやそれを支援する企業、財団などを視察する機会に恵まれました。特に印象的だったのが、市民に企業や財団のお金を循環させる、いわゆる市民ファンドのマネジャーの話で「表面的な運動だけでなく、金銭的にも共感を得る運動をしなくちゃいけない。良きお金の循環がないと良き世の中は作れない」と。実はその人、かつてはホワイトハウスで政府系の仕事をしてたと言うんです。アメリカは大統領が変わる度にスタッフも変わるので、政府のスタッフが民間に行くこともあれば逆もある。そうやって人が循環することで、政策形成力のある人材が育つんだな、と感心し、日本にもいずれこういう仕組みを作りたいと思いました。日本では95年の阪神淡路大震災をきっかけにNPOやボランティア活動が一般に認知されはじめ、98年にはいわゆるNPO法もでき、以降徐々に定着してきました。

中村教授
2002年、立教着任当時の中村先生。
新しい取り組みを担う12人のうちのひとりとして、ANAの機内誌で取り上げられました

●社会デザイン学は 世界をいい方向に変える

96年からは専任教員として都留文科大学で教壇に立ち、東京大学で客員助教授なども務めました。そして2002年に21世紀社会デザイン研究科が設立された際に、立教大学へ呼んでいただきました。
「社会デザインって何?」とよく聞かれます。社会ってわかるようでわかっていない言葉ですよね。いろんな価値観を持った人々が共生していく際に、必要な知恵や仕掛けがあり、それが人間社会を発展させてきた。その知恵や仕掛けの総体を社会だと考えれば、それをデザインすることが可能ではないか、というのが根本にあります。社会的な課題を解決するために、20世紀的な解決方法ではうまくいかないことが増えている。従来の枠組みや常識にとらわれずに社会をデザインするという発想がないと乗り越えられないんじゃないか。解決のためにそれぞれの場所から知恵を働かせ、実践的な学びをしましょう、というものです。この研究科は学部に基礎を持たない、つまり学部から独立しているため、入学者は社会人がほとんどです。過去最高だと70代の学生さんもいました。世代は違えど、皆さんもう1度学びたいという意欲にあふれています。ゼミには公務員や会社員、新卒院生などさまざまな立場の人がいて、私よりも経験や知識が多い人もいる。そこである時気づいたのは、私の役目はただ知識を教えることではなく、その人たちを「社会デザイン研究」へとつなぐコーディネーターたることだということです。
社会デザイン学では社会を良くすると同時に、変えていくことが目標です。そのためには理論的、構造的な視点が必要で、それプラス現場を見据える視点の両方が必要なんです。私たちが掲げてきた人材像に“ソーシャルデザイナー”というのがありますが、これは職業ではなく職能なんです。公務員や会社員、NPO職員や議員など、いろんな場所にソーシャルデザイナーが増え、お互いをゆるやかに繋いでいけば、身近なところから社会を変えるのに少しずつ近づく、と思っています。

立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科


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